【コラム】中学の時、ガチで校舎の窓ガラス壊してまわってる人がいた話 / 本日11月29日は尾崎豊の誕生日
本日11月29日は尾崎豊の誕生日だ。反骨精神あふれる歌詞で「10代の代弁者」と言われた尾崎。そんな尾崎のイメージを決定づけたのが『卒業』という曲だが、この曲には次のような一節が登場する。──夜の校舎窓ガラス壊してまわった──。
現代では、窓ガラスを割ってしまうことはあっても、壊してまわる人はなかなかいないのではないだろうか。だが、37歳の私(中澤)が中学生だった24年前は、まだ普通に窓ガラス壊してる人がいた。そんな先輩の話をしたい。
・ヤンキーブームは過ぎ去っていたが
と言っても、私が中学に入学したのは1995年のため、すでに世間的なヤンキーブームは終焉を迎えていたはずだ。ヤンキーブームの全盛期は80年代である。
にもかかわらず、私の学校には頭が実にカラフルな人達が短ランとか長ランを着て闊歩していた。大阪のど田舎だったため、ブームが終わっていることに気づかなかったのかもしれない。ヤンキーカッケー的な文化は私の中学にはまだ生き残っていた。
その証拠に、小学校の時『ドラクエ2』を貸してくれた近所のお兄さんも、中学に入学するとヤンキー化。話しかけたらオラつかれたのでそれ以降話さなくなった。一緒にぷよぷよやった同級生も気づけば茶髪とか金髪になってヤンキーグループに入ってるし。
・事件
そんなある日のこと、事件が起こった。確かあれは授業中のことだったと思うが、校舎の外から怒号のようなものが聞こえてきたのである。静まり返る授業中に外に響く怒号。それはヤンキーが普通にいる学校とは言え、結構珍しいことだった。ヤンキーが騒動を起こしても大体教室内で終わるからである。
何人かの怒号が輪唱のように聞こえる。1つはおそらく生活指導的なポジションの国語の先生の声だが、先生が数人がかりというのもまた珍しい。外からの怒号に授業もままならなくなり、教室内を少しずつ不穏な空気が侵食していく。
そこで、廊下に出て声のする方を見ると、校舎と体育館の間の広場に国語の先生含め数人の男性教諭が集まっていた。なお、どうして廊下に出られたのか詳しい経緯は覚えていないのだが、クラス全員が廊下から広場を見ている光景を覚えているため、おそらく授業をしていた先生が助っ人に出ていったんだと思う。男だったし。
・甲高い音
さて置き、相変わらず続く怒号。この場所からだと先生しか見えないが、向いている方向から考え..