AC/DC〜「どんなパンクスよりも俺たちはタフだった」とマルコム・ヤングは言った
認知症を患って2014年9月にバンドから脱退を余儀なくされたマルコム・ヤングが、2017年11月18日に亡くなった。享年64。弟アンガスがお馴染みのスクールボーイ姿でギブソンSGを抱えながらステージを所狭しと動き回る一方で、黙々とグレッチで強靭なリズムを刻んでいた兄マルコムの姿がもう見れないなんて何だか寂しい。
AC/DCを初めて聴くタイミングは、人それぞれだ。70年代からのファンもいれば、80年代の空前のヘヴィメタル/ハードロック(以下HM/HR)ブームで出逢った人もいる。あるいは90年代から、いやゼロ年代からというケースもあるだろう。早い話、時代の入口はどこだっていい。どのアルバムを手に取ってもいい。AC/DCは“変わらない”のだから。
多くのロックバンドが生き残るために、“時代の変化”や“音楽性の追求”や“マーケティング戦略”などの思考に惑わされる中、AC/DCはひたすら“不変”であり続けた。ヴィジュアル重視のHM/HR全盛期でさえ彼らは早弾きなどのパフォーマンスに手を出さなかったし、チャート狙いの甘いバラードも絶対に演らなかった。あくまでもリフ主体のロックンロール。ブルーズに根差したグルーヴに徹底した。
同時期にデビューした多くのHM/HRバンドが解散したり人気を落としていく中、一貫してブレなかった彼らだけはファンを増やし続けた。アルバムセールスは現在まで世界で2億4000万枚以上を記録。2008〜10年のワールドツアーでは167公演・484万人を動員し、興行収入は4億4112万ドルという驚異的な数字を叩き出した。
スコットランドのグラスゴーでヤング家の六男、七男として生まれたマルコム(1953年生まれ)とアンガス(1955年生まれ)。家族の生活は苦しく、1963年にはオーストラリアのシドニーへ移住。二人の兄である五男のジョージ・ヤング(2017年10月23日死去)はイージービーツという国民的ビートバンドで活躍。1966年にはイギリスで大ヒットを飛ばす。そんな影響もあって弟たちは音楽活動に夢中になった。
1973年にAC/DCを結成。「直流/交流」という意味を持つバンド名は、姉のマーガレットが電化製品に書いてあった文字を見て提案したそうだ。そしてイージービーツにいた兄ジョージとハリー・ヴァンダのプロデュースによって、1975年にアルバム2枚『High Vo..