【スロット】約20年ぶりに「アステカ」を打ったら無性に泣けてきた話

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“パチンカス” などのネットスラングがあるように、堂々とパチンコやスロットを「大好きです!」とは言いづらいこのご時世。トータルで考えれば勝てる人はほとんどいないのだが、それでも今から約20年前、私、P.K.サンジュンはスロットにドハマりしていた時期がある。

私がつるんでいた連中だけだったのだろうか、当時20歳そこそこの私たちはスロットにただならぬ情熱を燃やしていた。ニューパルサー、サンダーV、花火、大花火……と数ある名機種の中でも、私がハマりにハマりまくっていたのが『アステカ』である。

・ハイリスクハイリターン

今はどうだか知らないが、当時のスロットは「ハイリスクハイリターン」のギャンブルであった。負ける日はガツンとウン万円飛んでいくが、店や機種によっては1日数人が「万枚(まんまい)」を叩き出していたものだ。

「万枚」とは “メダル1万枚” の意味で、1枚20円のメダルが1万枚だから20万円の計算になる。そう、当時のスロットは「1日ウン万円飛ぶリスクと引き換えに、20万円以上を獲得する可能性を秘めたギャンブル」だったのである。

さらに言えば、2万枚、3万枚、4万枚……といった伝説級の勝ちゲームもさして珍しくなく、そうした噂は市を2つくらいまたいで聞こえてきた。私が知る限り、隣町のパチンコ店が樹立した5万5000枚、つまり110万円がエリア内の出玉最高記録である。

……実際にそこまで大勝ちするケースは激レアだが、5000枚(10万円)くらいならそこそこの頻度で出ていたあの時代。トータルすると確実に負け越していたことはさておき、私が無我夢中で打ち続けていた台が『アステカ』であった。

・アステカにハマりまくった

アステカはCT(チャレンジタイム)を搭載した台で、非常にゲーム性が高かったように思う。ビッグが確定しても予告は確率次第で、私はほぼ全ての “リーチ目” を記憶していた。リーチ目がわからないヤツはダサい……。当時スロットに熱狂していた若者たちには、そんな風潮すらあった。

それに加えてアステカには、まあまあ高度な “目押し” が出来ないと抜けない(メダルを多く出せない)台でもあった。余談だが、当時は「スロットは若者、ご高齢の方はパチンコ」的な雰囲気もあり、超シンプルな「ジャグラー」はお年寄り専用機と化していたように思う。

ヒドいときは朝5時から並び始め、閉店の23時まで打ち続けたアステカ。1日最高1万1000枚を叩き出した俺の自己最高記録を作ったアステカ。意外と真面目な話「コイツとは会話ができる」と信じ込んでいたアステカ。つい先日、そのアステカを約20年ぶりに見かけてしまったから正気ではいられない。

・約20年ぶりにアステカと再会

アステカが設置されていたのは、都内某所にあるスロット専門ゲームセンターである。調べてみると、スロット専門ゲームセンターは都内にちょいちょいあり、その名の通り往年のスロットマシンが楽しめるゲームセンターだという。

もちろん換金はできずただ遊ぶだけであるが、この際そんなことは関係ない。私は90分打ち放題コース(1000円)を選択し、久々にアステカと再会した。お前か、アステカ。元気だったか、アステカ。よくぞ生き延びていてくれた……アステカよ

マニアックな表現になって恐縮だが「デカチリ」も「サボテン・白7・白7」の並びも全てが懐かしすぎる。リーチ目もまあまあ記憶しており、ルーレットも当然当時のまま。メダルを入れたその時からニヤニヤが止まらず、そして無性にウルッと来た。

・涙腺が緩んだ

このアステカは人間の歳にしたら90歳くらいだろうか? 99.99%の台は廃棄されているハズだが、20年の時を経てよくぞ俺と再会してくれた。よくぞ俺を待っていてくれた。アステカを打っている間、当時の店で死ぬほどかかっていた倉木麻衣の「Love, Day After Tomorrow」まで脳内再生されちゃ泣くしかない。曖昧に飾った言葉はいらない──。

なお、この記事で「スロットやろうぜ!」と言うつもりは一切ないし、私も再びスロット道に足を踏み入れるつもりは毛頭ない。ただ、タイミングが合えばまたアステカをのんびりプレイしようかなぁ、とは思う。90分で1000円なんて暇つぶしにはもってこいだ。

たかがスロットの1機種にここまでセンチメンタルになれるなんて我ながらクズだが、それでもアステカが大好きだったことは紛れもない事実である。色んな経験をしてヒトはできている。

執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.

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