全線開通した常磐線で東京から福島へ / 帰還困難区域だった各駅で下車、周辺を散策してみた

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2011年3月11日の東日本大震災に伴う、福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染。これにより、東京都の日暮里駅から千葉、茨城、福島を経由して宮城県の岩沼駅までを結ぶ常磐線は、かなりの区画が運行できない状態になりました。

2014年の久ノ浜~竜田間の営業再開から少しずつ開通してきたものの、放射線量が高い富岡~浪江間は不通のまま。それが、9年の歳月を経た2020年3月14日に、ついに全線開通。一部とはいえ避難指示が解除され、下車&散策も可能のようなので、さっそく行ってきました。

・特急ひたち

福島に行く手段として乗ったのは、上野駅発の 特急ひたち。筆者が乗ったのは3月14日午前9時発の ひたち5号 いわき行き でしたが、この1本前の午前8時発 ひたち3号 は仙台行き。特急ひたちが上野から仙台まで走るのもまた、9年ぶりのことです

多くの鉄道ファンだけでなく、常磐線のスタッフにとっても開通は悲願だったのでしょう。かなりのお祝いムードで、ホームはとても混雑していました。中には 特急ひたち が仙台まで行くことを告げるアナウンスを録音し、しみじみとした表情を浮かべる人なども。

ですが既に書いた通り、筆者が今回利用したのは、1本遅れの ひたち5号 いわき行き。

予約の段階では ひたち3号 もまだ空席が残っていたのですが、ほぼ満席に近い状態。混んでいては窓の外や車内の様子を見て回るのが困難そうだと考えての選択です。実際に ひたち5号 は程よく空いていて快適でした

・普通列車も

開通に伴う祝賀ムードは上野駅に限ったことではありませんでした。上野より仙台方面にある、常磐線の各駅でも同様の様子。筆者はいわき駅で 特急ひたち から降りて普通列車に乗り換えたわけですが、ここでも運転再開を祝うポスターが。

改札を出たところでは、多くの鉄道ファンと思しき方々が「原ノ町・仙台方面」という行先表示や、電光掲示板の「原ノ町」という表示を撮影していました。あまり詳しくはないのですが、恐らくこれらも9年ぶりの光景なはず。ちなみにSuicaの首都圏エリアで浪江駅まで行けるもよう。

・双葉駅へ

いわき駅を出て、次に降りたのは双葉駅。9年ぶりに開通した区画は富岡駅から浪江駅までですが、新しく降りることができるようになったのは、双葉、大野、夜ノ森の3駅。これらの中で、最も仙台よりなのがこの双葉駅です。

福島第一原子力発電所との位置関係についても軽く触れておきましょう。発電所があるのは、この双葉駅と、1つ隣の大野駅の間の海沿いです。どちらの駅からも直線距離にして4キロ程度でしょうか。駅周辺の避難指示は2020年3月4日に解除されたばかり。

駅舎は新しく、とても綺麗。特徴的なのは空間放射線量率が表示されている点。改札内から見たときは0.083μSv/hでした。駅滞在中に一番高くなった瞬間の数値でも0.093μSv/h。少なくともこの日の双葉駅構内の線量は、花崗岩が大量に使用されている国会議事堂より低い可能性。

無人駅となっており、改札はICカードのタッチパネルがついた柱のようなものが1本立っているだけで、柵や開閉する扉的なものはありません。初日ということもあってか、多くの鉄道ファンで賑わっていました。

改札を出てすぐのところには乗車証明書発行機も設置されていました。これは現金で乗りたかったり、ICカードで支払えなかったりした時に使うもの。ボタンを押すと券が出てきて、これを着いた駅で渡して運賃を払う仕組み。

・双葉駅周辺

駅舎内部はガラス張りな部分が多く、外観もシースルーみのある造りで、全体的にハイカラなデザイン。

駅の東側には自販機やお店のような建物がありますが、当然使用できませんし、営業もしていません。駅を背にして右手には、壁が崩壊した大きな建物がそのままになっていました。

ところで、今回避難指示が解除されたエリアについては「時が止まった町」的な表現をよく見かけます。ですが実際に見て得た感想は、時が止まったままではなく「緩やかに荒廃し続けてきた」というもの。

復興に向けた作業は着々と進み、こうして常磐線が全線開通したり、筆者のように外から来た人が歩き回れるなど、良くなっている部分はあります。ですがトータルで見れば、どちらかというと現状はまだ、とてつもなくマイナスな状態だったものが0に近づいた感じとでも言いましょうか。

何をもって復興とするのかは様々な見解があるでしょう。個人的には、各種インフラ等含め安全に居住可能にすることこそ、被災地の復興が始まったと言える最初のステップだと思います。

プラスやマイナスの尺度で言えば、その段階こそが丁度0に該当するのではないかと。そして、そこから人が住み始め、雇用や消費が発生し、コミュニティが成長して初めて復興したと言えるのではないでしょうか。

状況は多くの人の大変な努力によって好転しつつありますが、少なくとも双葉駅周辺については、まだマイナスを脱せていないように感じました。一時的に立ち入ることこそできても、ここでの生活をどう始めるのかというのは、考えるのも難しいというのが正直なところ。

それでもいつかは復興するのでしょうが、とてつもなく長い道のりであることは明らかです。どれくらい先の話になるのか全くイメージできないくらい、周辺エリアの状態は壮絶でした。すでに9年経過していることもまた、余計に前途多難さを感じさせます。

放射線量率を表示する機械は屋外にも設置されており、駅のすぐ外は0.250μSv/hでした。

駅から直線距離で600メートルほど歩いた所では1.346μSv/h。これより先はほとんどの建物がすでに解体済みなのか、さら地が広がっていました。少し離れた場所にはその先が海浜公園であることを示す看板が建っていたので、海まで建築物はほとんど残っていないのかもしれません。

その他の双葉駅周辺の写真はスライドショーから

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・大野駅

翌日訪れたのは大野駅。双葉駅の隣です。一部の避難指示が解除されたのは2020年3月5日

こちらも駅舎は新しく、改札のタイプや線量計が設置されている点などはおおむね双葉駅と同じ。訪れたときの空間線量率は0.277μSv/h。

余談ですが、前日は雨で、双葉駅とその周辺を散策している時はとてつもない寒さでした。また双葉駅構内には締め切られた待合室的なものが見当たらず、常に風が吹きぬけており、構内であっても寒さでじっとしていられないのです。

次の電車まで2時間待ちという状況に陥ったりして色々と辛かったのですが、大野駅には改札横にテーブルと椅子付きの待合室が。この日はとても晴れていて暖かく、待合室の恩恵を受けませんでしたが、寒い日は大野駅の方が居心地は良さそうです。

構内には駅周辺の避難指示解除区域を示す地図が貼られており、見た感じ道路上であれば結構広い範囲を散策できそうな気配がします。

とりあえず東口のロータリーに出てみると、駅のホームからも見えた桜の木が。とてものどかで平和な感じ。

ですが、ロータリーから出る道路は1本を除いて全て封鎖されており、その先が帰還困難区域であることを告げる看板が。

駅前に福島県警のパトカーが停まっていたので、警察官の方に封鎖されていない道はどの程度まで歩いて行っていいのか聞いたところ「道路の色が変わってるところより行くと、警備員さんがいて通報されちゃうよ」と、めちゃくちゃフランクに教えてくれました。

ちなみにその「道路の色が変わってるところ」とは、ロータリーから10メートル程度のところ。ぶっちゃけ駅前から出ることは許されない感じ。ただしこれは徒歩や原付などに限った話で、他の手段であれば先に進んでも良いようです。実際、割と頻繁に車が来ていました。

ということで、大野駅の東側は散策できず。西側に行こうかと思っていたところで電車が来たため、大野駅は切り上げることに。最後の夜ノ森駅に行くことにしました。

その他の大野駅前の写真はスライドショーから

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・夜ノ森駅 西口

夜ノ森と書いて よのもり と読むこちらの駅。震災前から周辺が桜の名所として、そして駅はツツジの名所として有名でしたから、ご存じの方も多いでしょう。駅周辺の避難指示が一部解除されたのは、2020年3月10日です。

かつての夜ノ森駅は線路の東側に駅舎があり、西口は存在しませんでした。しかし福島第一原子力発電所の事故の影響で従来の駅舎は解体。橋上駅として建て直され、東と西の両方に出口が設けられました。

およそ100年の歴史を持つ駅舎は失われましたが、線路を挟んで西と東の両方から駅へアクセスできるため、利便性は増したと言えるかもしれません。新しい夜ノ森駅の改札や券売機等の設備は双葉駅や大野駅と同じ感じ。来た時の空間放射線率は 0.210μSv/h。

実は夜ノ森駅の西側については2017年に全面的に避難指示が解除されており、駅前周辺では普通に人々が生活しています。10日に解除されたのは、駅を含む線路よりも東側のエリア。ちょうど線路が帰還困難区域か否かの分け目だったわけです。

今回の常磐線全線開通で、駅西側の住民も9年ぶりに夜ノ森駅から常磐線に乗れるようになりました。西口の新設は彼らにとって喜ばしいことと思います。西口はこれくらいにして、いよいよ東口に向かってみましょう。ほんの10メートル程度駅構内をまっすぐに通り抜けるだけですが、見える景色は全く違います。

・夜ノ森駅 東口

完全に放置状態だった双葉駅周辺より管理が行き届いていますが、復興的な度合いでは判断しかねます。道路の両脇は完全にフェンスで封鎖されており、人気のない建物が並んでいます。道路は新しく作り直されたようで、アスファルトが真新しい感じ。

駅に通じる太い道のみが避難指示解除となった状態で、その両脇は全て帰還困難区域となっていました。主要な道路のみを先んじて除染したということなのでしょうか。人や物の流れは道路無しにはあり得ず、人と物なくして復興はあり得ませんから、個人的には良い判断だと思います。

と好意的に受け止めはしたものの、とても綺麗な道路に対し、両脇に延々と続くフェンス。そして散見される、その先が帰還困難区域であることを告げるオレンジの看板の組み合わせは、なんだか現実離れした印象。

大野駅の時と違い、道路は徒歩が許されています。しかし、あらゆる路地の類は完全に封鎖されていました。逆にここまで徹底した封鎖を見ると、双葉駅周辺の自由な感じは大丈夫だったのか疑問を感じるレベル。

少し歩いていたら、帰還困難区域内に人を見かけました。声をかけてみたところ、ちょうど一時帰宅中の住民の方とのこと。フェンスのこちら側と向こう側で、普通に立ち話をするような距離なのですが、向こう側では地面が汚染されているということで靴にカバーをつけなければならないようです。

靴のカバーのほかには、首から貸し出された線量計を下げていました。見せて頂いたところ、数値は0.2μSv/h。夜ノ森駅の線量率と大体同じくらいです。話を聞いてみると、今はまだ帰還困難区域な道路両脇の家屋なども、来年か、そう遠くないうちに解除の見通しがあるというような話をされていました。

実際にどうなるかは何とも言えません。ですが、避難指示が解除された場所とそうでない場所は、少なくとも夜ノ森では薄いフェンスで分けられる程度のもの。エリア一帯の放射線量の問題ではなく、建物の除染なり解体なりが済み次第という段階なのでしょうか。

すぐそこの駅の西側では普通に日常生活が営まれていることからも、土壌を除去したり、壊れた建物さえ何とかすれば住めそうな感じがします。夜ノ森の復興は先に見てきた2つの駅よりも現実味がある雰囲気。もとから全国的に知られている観光資源があることも有利に働く気がします。

ちなみに、この方に現在どこに住んでいらっしゃるのか聞いたところ、郡山とのことでした。より近くの いわき市 などは場所が無いそうで、話を聞いてみると多くの被災者が遠方に住むことを余儀なくされているようです。

また、双葉駅周辺でもそれっぽい建物を見かけましたが、この方も空き巣被害者の1人でした。ご自身だけでなく、近隣の家はどこもやられているのだとか。汚染されていて危険なのにと、半ばあきれ気味なようす。

・夜ノ森の桜

別れ際には、桜が咲いてから来ることを勧められました。是非ともそうしたいところ。実は筆者が歩いてきたこの道路なのですが、両脇には延々と桜の木が植えられており、咲いたらさぞ見事だろうと感じていました。全国的に有名な「夜ノ森の桜並木」の一部です

桜も汚染されたり除染されたりとハードな体験をしたと思われますが、まあ大丈夫なのでしょう。植物というのは他のエリアでも茂りまくっていましたし。根本の土壌は新しくしたようで、フカフカの状態でした。

ただ気がかりなのが、多くの木が病気にやられて弱っている感がある点。桜のことはよく知らないので違っている可能性もありますが、ウメキノゴケが蔓延しているように見えます。これは、膏薬(こうやく)病というやつではないでしょうか?

何にせよ、手入れする余裕が無かったのだろうなと。開花基準木とされる立派な桜の木が広場的な場所に生えていましたが、表面のかなりの部分が黄土色のもので覆われていました。やはり詳しいことはわかりませんが、これは癒合剤や殺菌剤の類ではないかと。

治療のために表面を削り取って、むき出しになった部分を覆うように塗り固めたんだと推測しますが、どうなのでしょう。開花前に避難指示解除したのも、名物の桜による観光客誘致と、イメージアップなど考えてのことと思われます。どうにか桜には健康状態を回復し、立派に花を咲かせて欲しいものです。

その他の夜ノ森駅周辺の写真はスライドショーから

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・今後は

ということで、9年ぶりに全線開通となった常磐線に乗り、いずれも避難指示解除から間もない3駅とその周辺の様子をお伝えしてきましたが、いかがだったでしょう。

9年も経っており、そもそも現地の様子をなかなか目にする機会が無いため、毎年の追悼式の報道で思い出す程度というのが、ほとんどの部外者にとっては実際のところではないかと思います。

筆者も「入れないのは知ってるけど、整地くらいはされてるんじゃないの?」程度に思っていました。放射線量が下がったら色々建てて終わりだろうというくらいの認識です。しかし行ってみたら的外れも良いところという感じ。

9年間も帰還困難区域だったのには相応の理由がある……というのを知ることができました。手を抜いてるとかそういう話ではなく、範囲や規模が圧倒的で、むしろ可能なビジョンを見るのが大変という感じ。全線開通を知った今気を付けるべきは、全線開通したからといって、復興が果たされたというようなイメージを持たないことだと思いました。

せっかく復活したのですから、常磐線には復興に向けた動きを支える柱になってもらいたいところ。例えば貨物列車も走行可能なはずですから、鉄道の強力な輸送力を上手く活かすなど、色々とやっていけるでしょう。

開通自体はJR東日本の職員、駅周辺の被災者、そして一般の鉄道ファンなど、本件に関係・関心のあるほとんどの方にとって文句なしの朗報。復活した常磐線を復興に繋げられるよう、官民協力し合って頑張って頂きたいものです。

最後に、復興についてや、鉄道への関心など抜きに、色々落ち着いたら 特急ひたち で福島観光などいかがでしょう。夏までは50%引きキャンペーンをやっていて新幹線より安く、割とあっという間に着きますので。

参照元:双葉町えきねっと
Report:江川資具
Photo:RocketNews24.

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