オズの魔法使〜“虹の彼方”からやって来る圧倒的なイノセンスの世界
『オズの魔法使』(The Wizard of Oz/1939)
第2次世界大戦直前の1939年のアメリカでは、人口の60%にあたる約8500万もの人々が週に1回は映画館を訪れて映画を観ていたという。まさしくハリウッドの黄金時代。とりわけこの年は名作が数多く生まれたことでも知られ、『風と共に去りぬ』『駅馬車』『嵐が丘』『チップス先生さようなら』『ニノチカ』『スミス都へ行く』などが公開されて観客たちを魅了していた。
そんな中でも忘れてはならないのが『オズの魔法使』(The Wizard of Oz/1939)だろう。公開時はその莫大な制作費(当時で260万ドル)のおかげで赤字となってしまったものの、アメリカ初のファンタジーの古典名作として、その後のリバイバル上映やTV放映、ビデオ化などの視聴によって世界中の言語に吹き替えされ、現在までに10数億人以上が観たと記録されている。
原作はライマン・フランク・ボームが1900年に発表した児童文学で、オズ・シリーズの記念すべき最初の作品。OZの名の由来は、ボームが仕事中に眺めた書棚のファイリングにあったラベル「O〜Z」(その前は「A〜N」)から取られたことは有名なエピソードだ。作品は多くの子供たちに読み聞かされることになりベストセラー、1919年にボームが亡くなった時は「世界中の子供たちが親友を失った」と追悼された。
映画化に際しては、製作のマーヴィン・ルロイがMGMのトップに企画を提案。当初は主役に天才子役のシャーリー・テンプルを想定するも、紆余曲折を経て16才のジュディ・ガーランドに決まる。肥満気味であった彼女はダイエットして役に臨んだ。撮影に入ると、最初は衣装やメイク、カツラが洗練されすぎていたので、田舎の素朴な少女の風貌に改められた。
結果的にジュディの起用は大成功で、彼女がスクリーンから放つ「観客を引き込む“圧倒的なイノセンス”」が、この映画を永遠不滅化したと言っても過言ではない(あのジム・ジャームッシュやデヴィッド・リンチといったクセのあるヒップな映画作家でさえ、『オズの魔法使』の断片を自らの作品に取り入れている)。なお、ジュディ・ガーランドのその後の人生に起こることになる“壮絶なエクスペリエンス”を思うと、何か大きな意味さえ感じてしまう。
映画の華やかさとは逆に、撮影中は重労働そのもの。現在では考えられないほど、ア..