2022-01

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愛と栄光への日々〜ブルース・スプリングスティーンが感謝したジョーン・ジェット主演作

マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の伝説的作品『タクシー・ドライバー』の脚本を書いたポール・シュレイダーは、その後監督業に進出。『アメリカン・ジゴロ』『キャット・ピープル』などを手掛ける中、1981年に新しい脚本を書き上げた。タイトルは『Born in The U.S.A.』。 シュレイダーはこの映画のためのサウンドトラックをブルース・スプリングスティーンに依頼するため脚本を送る。これを読んだスプリングスティーンは、テーマにもストーリーにも感動して快諾。しかし、不運にも様々な問題が生じてしまい、映画製作は頓挫。結果、タイトルだけが生きることになり、1984年にあのベストセラー・アルバムが誕生。クレジットには「ポール・シュレイダーに感謝を込めて」と刻まれた。 シュレイダーは諦めずに映画製作を再開。今度はスプリングスティーンが主題歌をプレゼントする。その「Light Of Day」は映画のタイトルになり、1987年に公開されることになった。 『愛と栄光への日々』(Light Of Day/1987)の主演は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」をダックウォークしながら弾いてR&Rの歴史に貢献したマイケル・J・フォックス。そしてランナウェイズでガールズバンドの伝説を作り、脱退後に自前レーベルから「I Love Rock ‘n’ Roll」で全米ナンバーワン・ヒットを放った姐御ジョーン・ジェット。 二人は映画のために実際にバンドを組み、意気投合。吹き替えなしで映画中の音楽を演奏した。撮影2ヶ月前から練習に励み、シカゴのバーに覆面バンドとして登場。「オハイオから来たバーバスターズ」とだけ紹介されただけなので、観客たちは歓喜に包まれたという。 マイケル・J・フォックスは本作で自作曲も披露。ジョーンはもちろん映画初出演。だが見事な演技力で映画の完成に一役買った。二人の母親役には名女優ジーナ・ローランズ。こちらも映画に大きな深みを与えている。アメリカではヒットこそしなかったものの、80年代を強烈に感じる佳作として評価されるべきだし、ロックファンなら決して記憶から葬ってはいけない音楽愛に満ち溢れた作品だ。 物語の舞台はオハイオ州クリーヴランドの工場地帯。ジョー(マイケル・J・フォックス)は工場で働きながら、姉のパティ(ジョー..
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プロフェッサー・ロングヘアを偲んで〜“ロックンロール界のバッハ”と呼ばれた男の足跡と功績

“ロックンロール界のバッハ”と呼ばれた男、プロフェッサー・ロングヘア。 1980年、彼は61歳になった年にニューオーリンズの黒人街の借家で心臓発作を起こしてこの世を去った。 没後、1992年にロックの殿堂入りを果たした伝説のミュージシャンだ。 ニューオーリンズを代表するブルースピアニストだった彼は、本名をヘンリー・ローランド・バードといい「フェス」の愛称でも知られていた。 ルンバ、マンボ、カリプソを織り交ぜた独特のピアノスタイルと感情表現に富んだ個性的なヴォーカルで独自の世界を作り上げた、まさに“個性派”だった。 その音楽はファッツ・ドミノ、ドクター・ジョン、アラン・トゥーサンなど、様々な世代のミュージシャンに影響を与えたと言われている。 彼は一体どんな人生を歩んだのだろう? ──1918年、彼はルイジアナ州のボガルサという町で生まれる。 両親はともにミュージシャンで、祖父はアラバマ州の農家で奴隷として働いていたという。 彼がまだ幼い頃に家族はニューオーリンズへと引っ越し、南部で最もにぎやかな街で彼はストリートダンサーとして小銭を稼ぎ始める。 やがて彼はストリートのブルースマンたちを師匠としてギターやピアノを弾き始める。当時は、民間植林治水隊(CCC)の隊員達を相手に演奏をしていたという。 彼はそこでピアニストとして、ジャンプブルース、ブギウギ、ジャズ、カリプソ、ルンバ、サンバなど、ニューオーリンズならではの雑多なリズムを吸収しながらミュージシャンとして成長してゆく。 だが、音楽だけで生計を立てるのは難しく…彼はボクサー、コック、カード師などをしながら金を稼いでいたという。 それは1940年代の末の出来事だった。 あるクラブでデイヴ・バーソロミューのバンドが休憩を取っている間に彼が場繫ぎでピアノを弾いたところ、観客から大きな喝采を浴びる。 後にファッツ・ドミノのバンドリーダーとして知られるようになるバーソロミューだったが…その出来事をきっけにバンドをクビになってしまう。 以降、彼を含めこの時のバンドのメンバーが全員長髪だったため「プロフェッサー・ロングヘアとフォーヘアーズ」と呼ばれるようになった。これが彼の芸名の由来である。 1949年、彼は初めてレコーディングを行うチャンスを掴みプロフェッサー・ロングヘア&ザ・シャッフリング・ハンガリアンズの名義でレコードデビュー..
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ライトニン・ホプキンスを偲んで〜稲妻と呼ばれた伝説のブルースマンの足跡と功績

Mojoを手に入れるためにルイジアナに行こう 昨日は冷たい地面を寝床に岩を枕にして眠った そして寝転がって考えた いったいどうしたものだろう? そうだ!Mojo handを手に入れるんだ! そうすりゃあの娘も俺にぞっこんになって 他に男を作らねぇだろう! ライトニン・ホプキンス。 長いブルース史において、最も多くのレコード作品を残した一人として知られている伝説のブルースマンだ。 1982年1月30日、故郷テキサスの地でこの世を去る。 69歳、死因は癌だった。 稲妻を意味する“Lightnin’(ライトニン)”はもちろん芸名で、本名はサミュエル・ホプキンスという。 1912年にテキサス州で生まれ、10歳の頃にブラインド・レモン・ジェファーソン(テキサスブルースの元祖)と出会い、彼の付き人となりギターを学ぶ。 その後、テキサス・アレクサンダー(楽器を弾かない伝説のブルースシンガー)の伴奏をつとめ、1946年(当時34歳)にレコードデビューを果たすが…鳴かず飛ばずだったという。 当時はピアノのサンダー・スミスとコンビを組むことが多く、相棒の“サンダー(雷)”の名にちなんで、いつしか彼も“ライトニン(稲妻)”と呼ばれるようになったという。 彼は自分の体験や想いを即興で歌にしてしまう能力に恵まれていた。 1920~30年代にアメリカ各地を放浪したときの思い出、若い時に収容された刑務所での体験、1940年代になって激化していった戦争(第二次世界大戦)のことなどを歌にして、その泥臭く生々しい音楽表現、語り部としての才能が高く評価された。 1950年以降も順調にキャリアを重ねていたが、レースレコード(黒人向け専門のレーベル)の需要低下と共に、1956年あたりから活躍の場を失うようになる。 3年後の1959年に起こったフォークリヴァイバルブームによって白人の音楽ファンに再発見された彼は再び脚光を浴びはじめる。 当時のフォーク、プロテストソングの盛り上がりの中でリベラルな白人達に持ち上げられた彼はアメリカ各地の大学で歌うようになる。 彼が登場する公演はどこも超満員だった。 ボキャブラリーが豊富で頭の回転の早い彼が即興で生み出す歌詞によって、客席は抱腹絶倒したり、時に重たい空気になったり、様々だったという。 また、彼は大の飛行機嫌いで滅多に海外ツアーを行わなかったが、1978年に..
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あの頃洋楽ファンが夢中になった“パワーバラード”の名曲②

80年代に洋楽デビューした人に捧げるこの企画。音楽雑誌のグラビア切り抜き。FMのエアチェックとカセットレーベル作り。輸入盤のジャケットの匂い。MTVを眺め続けた深夜帯。プログレハードやヘヴィメタル/ハードロックのトキメキ。 アルバムを買うと、必ず1曲は入っていたバラードナンバーを楽しみにしていた人も多いはず。今回はそんな「パワーバラード」の世界から名曲を厳選してみました。ドライブや通勤タイム、懐かしの音源探しに活躍すること間違いなし!! (選曲/中野充浩) エイリアス「More Than Words Can Say」(1990年・全米2位) シェリフとハートの元メンバーらによるスーパーグループ。と言ってもピンと来ないかもしれない。シェリフは1988年に「When I’m with You」が全米ナンバーワンになったカナダ出身のロックバンド。だがこの時既にバンドは解散しており、1982年にリリースした曲の特大リバイバルヒットだった。エイリアスのこの曲はまさにその続編的な響き。力強く美しい。まさにパワーバラードの見本。忘れられた名曲でもある。 ボン・ジョヴィ「Bed of Roses」(1993年・全米10位) 日本で人気が先行した彼らは、1986年のサード作『Slippery When Wet』で遂に全米を制覇。続く88年の『New Jersey』はデフ・レパードやガンズ・アンド・ローゼズらとチャートのトップを入れ替わり争った。4年後の『Keep The Faith』リリース時はグランジやオルタナロック全盛期。80年代に栄華を極めたHR/HMはアウトなもの、時代遅れなものとされる中、ボン・ジョヴィの信念・美学を感じさせるこの曲は本当に感動的だった。彼らの数あるバラードの中でも一番の出来だろう。 ガンズ・アンド・ローゼズ「November Rain」(1992年・全米3位) 1987年にリリースしたアルバムが次第に評判を呼び、その後1年掛りでチャートのトップに到達。80年代後半の音楽シーンは彼らの話題が絶えなかった。そして4年後に同時リリースされた新作2枚はまさに王者の風格。唯一、グランジ/オルタナ勢に対抗できたHR/HMバンドだった。この曲はガンズらしいパワーバラード大作。スラッシュのギターソロが泣ける。 エアロスミス「Angel」(1987年・全米3位) 70..
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【激ムズ】憎き…英単語。あなたは何問、正解できる?

自分の英単語力がバレる…。あなたは何レベル? View Entire Post ›
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歌追い人〜アパラチアの美しい風景の中で歌い継がれた“幻の歌”を集める

アメリカ大衆音楽の形成にあたって、アイルランド系移民たちが果たした大きな役割、その苛酷な歩みは、別コラム「黒人の“ブルース”に呼応したアイルランド系移民の“ハイロンサム”」に詳しい。 ヴァージニア、ケンタッキー、テネシー、ノースあるいはサウスカロライナなどの各州をまたがる山岳地帯アパラチア。人里離れたこの山奥に暮らしていた彼らは「マウンテン・ピープル」と呼ばれ、都市部の文明と接触しないことが原因で「野蛮な人々」と思われていた。 1908年のある日、オリーヴ・キャンベルという女性が夫と共に、ほとんど誰も訪れることのなかったアパラチア一帯を旅して渡り歩いた。彼女が魅了されたのは人々が歌い、踊る音楽。祖国から持ち込み、母から娘へ、祖母から孫へと歌い継がれた歌の数々……そこには“幻の歌”が大量に残されていたのだ。彼女はこの素晴らしさを世に広めようとするが、1915年にイギリスの学者が採譜して出版するまで注目されることはなかった。 『歌追い人』(Songcatcher/2000)はこの事実に心奪われたマギー・グリーンウォルド監督が、念入りなリサーチを重ねて撮りあげた名作。まだ電気録音もなく音楽産業が確立される以前の時代。堅物の音楽学者の女性が山の音楽を採譜し、歌集めをしながら、次第に人々の交流を通じて愛することに目覚め、心で生きていくことを決意するまでの姿を描く。 この映画が素晴らしいのは音楽だけではない。静かな緑、澄んだ川。そこに侵入してくる石炭発掘、森林伐採、鉄道敷設などの文明。そして何よりも人々の暮らしの描写と、音楽が果たす役割、力、想いが観る者の心を打つ。 音楽監督はボブ・ディランの1975年の伝説的ツアー「ローリング・サンダー・レビュー」、ブルース・ホーンスビー&ザ・レインジのメンバーとして知られるデヴィッド・マンスフィールド。“山の音楽”が同じ境遇にいた黒人たちのブルーズと結びつくことは有名だが、映画でもブルーズマンのタジ・マハールが出演。興味深い演奏を披露している。エンディング・ナンバーを歌うのは、良質なカントリー音楽の継承者エミルー・ハリスだ。 その後、マウンテン・ミュージックやバラッドは音楽産業によって1920年代に“発見”。「ヒルビリー」として売り出され、カントリーやブルーグラス、フォーク、そしてロックンロールやロカビリーに発展していく。 アパラチアの孤高..
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990円はありがたい…!この付録で「カードごちゃごちゃ問題」が解決できました。

『Smart』3月号の付録は、24karatsコラボ「じゃばら収納ミニ財布」です。たっぷりカードが収納できて、取り出しもしやすい!ミニポケットもついているので、小物収納にピッタリです。 View Entire Post ›
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あの頃洋楽ファンが夢中になった“パワーバラード”の名曲①

80年代に洋楽デビューした人に捧げるこの企画。音楽雑誌のグラビア切り抜き。FMのエアチェックとカセットレーベル作り。輸入盤のジャケットの匂い。MTVを眺め続けた深夜帯。プログレハードやヘヴィメタル/ハードロックのトキメキ。 アルバムを買うと、必ず1曲は入っていたバラードナンバーを楽しみにしていた人も多いはず。今回はそんな「パワーバラード」の世界から名曲を厳選してみました。ドライブや通勤タイム、懐かしの音源探しに活躍すること間違いなし!! (選曲/中野充浩) ボストン「A Man I’ll Never Be」(1978年・全米31位) トップバッターはボストン。デビュー作が驚異の全米1700万枚以上をセールス。本作はその勢いに乗ってリリースされたセカンドで、この曲は彼らの世界観を象徴する珠玉の1曲。「そうであってはならない男」の心の内が、美しいメロディやギターソロによって星屑のバラードとして昇華していく。これだけの音世界なのに、シンセサイザーやコンピュータの使用が一切なしというのも驚き。バンドの創始者兼ギタリストのトム・ショルツの才能が光る。ボストンはこの後8年の長い沈黙を経て、1986年に「Amanda」をナンバーワン・ヒットさせた。 エイジア「The Smile Has Left Your Eyes」(1983年・全米34位) キング・クリムゾン、イエス、EL&Pらのメンバーによって結成されたスーパーグループ。1982年のデビュー作『詠時感〜時へのロマン』が全米でナンバーワンに輝き、世界で1500万以上をセールス。シングル「Heat of the Moment」がチャートを駆け上がった。本作は彼らのセカンドで、中でも「偽りの微笑み」と題されたこのバラードの存在一つで再評価の価値あり。MVのストーリーも何だか切ない。 ラヴァーボーイ「Heaven in Your Eyes」(1986年・全米12位) カナダ出身のロックバンド。1980年のデビューから4作連続でアルバムがプラチナ・ディスクに輝く。中でもセカンド『Get Lucky』は全米で400万枚上を売った。この曲は映画『トップガン』のサントラに収録。同作は大ヒットしたベルリンのバラードが有名だが、ラヴァーボーイのバラードもひときわ印象的だった。これぞパワーバラードな1曲。 サバイバー「The Search ..
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“音楽探求の壮大な旅”が詰まったボックスセットの世界

どんなに単曲ダウンロードやストリーミングや動画サービスが普及しようと、心からの音楽ファンなら絶対に手元に残しておきたいものがある。その一つが「ボックスセット」だ。数枚組の中身は、まさに“壮大な音楽探求の旅路”そのもの。若い時には高価でとても手が出なかったという声も多い。でも大人になった今、それは十分に揃えるべき価値のあるもの。中古ショップで見かけたら迷わず手に取り、ネットで見つけたらとりあえずカートに保存してほしい。今回は厳選した5タイトルを紹介。 『The BLUES:A Musical Journey』 2003年のマーティン・スコセッシ監修による「ブルース・ムービー・プロジェクト」では7本の映画が作られた(最下段にリスト化)。このボックスもその一環。中身が凄い。ブルーズの歴史を5枚組・全116曲に包括。レーベルを超えた夢のようなコンピレーション。日本盤はブックレット、歌詞とも翻訳対応。発売当初は1万円弱だったが、今では中古で倍額以上のプレミアになっている。 ディスク1はカントリー・ブルーズやクラシック・ブルーズなど1920年代。ディスク2は30〜40年代、ディスク3は40〜50年代、ディスク4は60年代、ディスク5は70年代以降の代表曲で構成。ブラインド・レモン、リロイ・カー、チャーリー・パットン、サン・ハウス、ロバート・ジョンソン、ビッグ・ビル・ブルーンジー、Tボーン・ウォーカー、エルモア・ジェイムズ、ギター・スリム、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、ボビー・ブランド、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイ、マジック・サム、B.B.キング、ジョン・リー・フッカー、ジョニー・ウィンター、スティーヴィー・レイ・ヴォーンなど全部入っていてまとめて聴ける。 (こちらのコラムもオススメです) キャデラック・レコード〜ビヨンセも出演した伝説のレーベル“CHESS”の物語 『The DOO WOP Box』 ドゥーワップのグループばかりを集めた4枚組・全101曲。ライノの素晴らしい仕事の一つ。ディスク1は「ドゥーワップの誕生1948-1955」、ディスク2は「ロックンロールの爆発1955-1957」、ディスク3は「ドゥーワップの黄金期1957-1959」、ディスク4は「ドゥーワップ・リヴァイヴァル1959-1987」という構成。代表的名曲からマニア向けまで選曲も抜群..
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We Are The Worldの舞台裏で…

1984年、マイケル・ジャクソンは名実ともに絶頂期を迎えていた。 当時、彼はテキサス州のがん研究施設から救い出された3歳のチンパンジーを引き取って、どこへ行くときも同行させていた。 “バブルス”と名付けたそのチンパンジーに自分とおそろいの服を着せてパーティーや報道機関向けのイベントに連れて行き、ムーンウォークの踊り方も教え込んだという。 そんな彼のエキセントリックな行動は、音楽への評価とは別のところで大いに世間からの注目を集めていた。 エレファントマンやマリリン・モンローの骨を手に入れたがっているという噂や、酸素テントの中で睡眠をとっている、肌が白くなっている、鼻が細くなり唇が薄くなっているなどなど…。 下世話なタブロイド誌は“ワッコー・ジャッコー(変人マイケル)”などと見出しに踊らせて彼を揶揄するようになっていた。 そんな中、彼は事態を静観していたという。 1984年11月、ハリウッドの“ウォーク・オブ・フェイム”の星が彼に授与される。 その翌月の12月24日に、ボブ・ゲルドフ(ブームタウンラッツ)とミッジ・ユーロ(ウルトラボックス)の呼びかけで、アフリカの飢餓と貧困を解消する目的の下にイギリスのアーティスト達が集結した。 そのテーマソング「Do They Know It’s Christmas?」が、またたく間に収益を上げ“バンド・エイド”というチャリティーキャンペーンは大きな成功を収めた。 この動きに呼応するかのように“USAフォー・アフリカ”という旗の下、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの呼びかけに応じたのは、アメリカのポップス界を代表するアーティスト達だった。 テーマソング「We Are The World」の作詞作曲はマイケルとライオネルが共作で行い、プロデュースはクインシー・ジョーンズが担当した。 なんと彼らはこのアイディアが出てから12時間も経たないうちに曲を書き上げたという。 1985年1月28日の夜、その奇跡のようなレコーディングは実行された。 人種、性別、音楽ジャンル、宗教、キャリアもそれぞれ異なる彼らの“想い”は国境を超えて…普段は高額な出演料や印税をもらっている総勢45人のトップスター達が、エチオピア難民救済のためにノーギャラで集結したのだ。 ボブ・ディランからダイアナ・ロス、シンディ・ローパーやブルース・スプリングスティーンなど..
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