2021-10

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ロカビリーの女王ワンダ・ジャクソンの偉大な足跡と功績

2019年3月27日、“ロカビリーの女王” ワンダ・ジャクソン(現在84歳)がライブ活動からの引退を表明した。 彼女のFacebookには、マネージメントからの言葉としてファンへのメッセージが綴られた。 「60年以上にわたるツアー生活を終え、ワンダ・ジャクソンはパフォーマンスから引退します。今回の引退は単に彼女の健康と安全を考えてのことです。これまでワイルドな道程でしたが、長年にわたりサポートして下さったファンの皆様に感謝しております。しかしながら、これで終わった訳ではなく、人生の新たな章の始まりに過ぎません。」 2009年、女性ロカビリーシンガーの草分け的存在として活躍していた彼女はロックの殿堂入りを果たした。 彼女が受賞したアーリー・インフルエンス部門とは、現代のロックにインスピレーションと多大な影響を与えた人物が対象となる賞で、過去の受賞者リストにはロバート・ジョンソン、ウディ・ガスリー、ルイ・アームストロング、ピート・シーガー、ベッシー・スミス、マヘリア・ジャクソン、ナット・キング・コール、ビリー・ホリデイなど錚々たるレジェンド達の名が並んでいる。 1950年代の後半から1960年代初頭にかけて人気を博した彼女の歌を聴くと、カントリー&ウエスタンが黒人ブルースなどの影響をうけてヒルビリーが生まれ、それが発展してロカビリーになり、ロックンロール、そして現代のロックになっていく変遷・ルーツ・流れがよくわかる。 目鼻立ちの整った白人女性らしい可愛い顔に反して、感情的で迫力のある黒人のような歌い方をする彼女の歌唱スタイルは、当時の音楽シーンにおいて革新的なことだった。 1955年にデビューした彼女は、ロックンロールをレコーディングした初めての女性アーティストとして知られている。 もともとカントリーシンガーだった彼女は、エルヴィス・プレスリーに勧められてロックンロールに転向したという。 1937年10月20日、彼女はオクラホマ州にあるモードという小さな町で生まれた。 父親は理髪師をしながらセミプロのフィドル奏者(カントリーミュージシャン)でもあった。 彼女が幼い頃、一家はカリフォルニアに移住する。 それは父親が音楽の夢を追っての引っ越しだったという。 子供時代の彼女にとって、父親は最初の音楽の先生でもあった。 父親は幼い彼女にウエスタン・スイング(スイングとカント..
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マルホランド・ドライブ〜“こんなはずではない自分”が作り出す美しく呪われた世界

前回の『ロスト・ハイウェイ』では、『ブルー・ベルベット』『ツイン・ピークス』『ワイルド・アット・ハート』といったデヴィッド・リンチ作品で“やられた”人は決して少なくないと書いた。だとすれば、今回の『マルホランド・ドライブ』(Mulholland Drive/2001)は、“完全にやられた”人が続出した映画だった。 アイデアがやってくる時は巨大な閃光のような力を伴ってやってくる。そしてすべてのものがその中に取り込まれてしまい、魂を揺さぶる。その時点から何をすべきか知る。それが完成だ。 「リンチ世界の集大成」や「リンチの最高傑作」などと評価される本作は、いつもより増して謎が多いことでも話題になった。だが、リンチ映画に“理解・解決”を求めるのは野暮というもの。そういう観点で物事を測り始めたら、デヴィッド・リンチは背を向けて逃げていく。 では『マルホランド・ドライブ』とはどんな映画なのか? 今までファンや専門家によるたくさんの評論が飛び交ってきたが、ここではシンプルにこう言いたい。「人生に抱いていた夢や愛。一方で現実から受け取るもの。その落差。“こんなはずではない自分”に嘆く人間の失望」と。 物語の舞台はハリウッド。マルホランド・ドライブとは、海岸線から山間部をつなぐ曲がりくねったハイウェイのこと。有名な「HOLLYWOOD」のサインもこのルート上にある。ここはスピードに取り憑かれた走り屋から映画スターの豪邸まで、LAを舞台にした何本かの映画を観れば必ず出てくるロケーション。いわゆる夢の都・ハリウッドを象徴する場でもある。 リンチの映画は、そんな場所で殺されかけるブルネットの美女(ローラ・エレナ・ハリング)が突然の交通事故に遭い、傷を負ったまま彷徨い、真夜中にサンセット大通りの高級アパートに倒れ込むところから始まる。ビリー・ワイルダーの名作を彷彿とさせるドキドキするようなオープニングだ。翌朝そこには、映画スターの叔母を頼りに田舎町から夢と希望を抱いて出てきたブロンドの美女(ナオミ・ワッツ)が到着する。 ブルネットの美女は記憶を失っており、バッグの中には大金と鍵が入っている。彼女は何者なのか? オーディションをこなしつつ、ブルネット美女の自分探しを手助けしていくうちに、ブロンドの美女には何か特別な感情が芽生える。そして夜のクラブショーでロイ・オービソンが作った悲しみの名曲..
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「スペイン革のブーツ」と「木綿のハンカチーフ」

ボブ・ディランと太田裕美。 ローリング・ストーン誌が選ぶ“歴史上最も偉大な100人のソングライター”において第1位となった男と、1976年に日本で(山口百恵をおさえて!)最も活躍した女性アイドルとの間に“ちょっと面白い話”があるという。 1964年、ボブ・ディランが23歳の時にリリースした3作目のスタジオアルバム『The Times They Are A-Changin’(時代は変る)』に収録された楽曲の中に「Boots Of Spanish Leather(スペイン革のブーツ)」という歌がある。 その歌詞では、恋人同士の手紙のやり取りが交互に展開ゆく。 当時、ディランにとっての最愛の女性といえばスーズ・ロトロ。 2ndアルバム『Freewheeling’』のジャケット写真でディランと寄り添って歩いている女性だ。 彼女がヨーロッパ旅行に旅立った時の実体験をもとにディランはこの歌を作ったのだという。 「Boots Of Spanish Leather(スペイン革のブーツ)」/訳:片桐ユズル 恋人よ、わたしは船出する 朝には船出してしまうのよ 海の向こうから送って欲しいものはないかしら わたしが行く国から 真っ黒な夜からとった星と  深い海からとったダイヤモンドだって 君のやさしいキスのほうがいい 僕が欲しいのはそれだけだ そう、なにか送ってくれるならば スペイン革のスペイン・ブーツ 一方、太田裕美が二十歳の時に唄った「木綿のハンカチーフ」といえば、昭和歌謡曲の洗礼を受けた世代にとっては“忘れられない一曲”ではなかろうか? 1975年の年の瀬(12月21日)に発売され、翌年のシングルチャートを一気に駆け上って総売上枚数150万枚を記録したヒット曲である。 作詞を元はっぴいえんどの松本隆、そして作曲は筒美京平という最強タッグによって産み出された“3分47秒の青春物語”に、当時の若者たちは自分を重ね合わせて胸を熱くしたという。 「木綿のハンカチーフ」 恋人よ 僕は旅立つ 東へと向う列車で はなやいだ街で君への贈りもの  探す 探すつもりだ いいえ 星のダイヤも海に眠る真珠も きっと あなたのキスほど  きらめくはずないもの きらめくはずないもの あなた 最後のわがまま 贈りものを ねだるわ ねえ 涙拭く木綿の ハンカチーフ下さい ハンカチーフ下さい この曲の歌詞もま..
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名器ギブソンES-335を愛したエリック・クラプトン

ギブソンES-335が発表されたのは1958年で、フライングVやエクスプローラーと同じタイミングだったという。 ボディーの両サイドに空洞を持ち、中央は埋まっているセミアコースティックギター(セミアコ)は、それ以前には存在しなかった。 この「ES」の名は、エレクトリック・スパニッシュ(=横に構えるギター)を意味するもので、1940年代から使われているフルアコースティック・ギター(フルアコ)の型番を受け継いだものなのだ。 愛器“ルシール”をトレードマークにしてきたB.B.キングを筆頭に、ロックンロールの創始者の一人チャック・ベリー、「ミスター335」の異名を持つラリー・カールトン、元アース・ウィンド・アンド・ファイアのアル・マッケイなどなど、このES-335に魅了されたギタリスト達は数々の名演・名盤を残してきた。 そして…若き日のエリック・クラプトンにとってもこのES-335は究極のギターだったという。 2004年のクラプトン主催Crossroads Guitar Auction(クロスロード・ギター・オークション)の時に彼はES-335を愛用していた理由についてこんなことを語っている。 「当時はソリッドボディーであること、ボディーにバインディングがないことなど、今自分が気に入っていること反対の理由でフェンダーよりもギブソンを選んでいたんだ。」 クラプトンは少年時代にチャック・ベリーが弾いていたES-345に憧れていたという。また、フレディ・キングがレコードジャケットでチェリーレッドのES-345を手にした姿を見たときに“ギブソンのセミアコこそ本物のブルース/ロックのギターなんだ!”と、秘かに心に決めていた。 だが、当時のイギリスではアメリカの音楽情報はもとよりレコードすら貴重で、アメリカの楽器などなかなか手に入らなかった。 ヤードバーズの仕事で金を貯めたクラプトンは、ロンドンの楽器屋街チャリングクロスロードで遂に1964年製の新品のES-335を手に入れたのだ。 その40年後…この“ワンオーナー”のギターは前出のオークションで史上最高額のギブソンギターとなったという。 その時に売却されたのが、クラプトンが40年間弾きつづけたES-335だった。 管理人でもあるギターテクのリー・ディクソンはそのギターを「数あるES-335の中でも最高の音を持つ名器だ!」と絶賛している..
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ココアって405kcalもあるんだ…!スタバの「カロリークイズ」難問すぎてバリスタでも間違えるレベル

2択のうち、どっちか高カロリーかな? View Entire Post ›
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【性格診断】今食べたいスープから、あなたが内向的か外向的かわかる

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レザボア・ドッグス〜「無名には映画を作らせてくれない」現実と闘い続けたタランティーノ

無名の才能が直面する“よくある話”。『レザボア・ドッグス』(Reservoir Dogs/1992)で監督デビューする直前のクエンティン・タランティーノも例外ではなかった。 あらゆる所に売り込み続けた。5年も。でもどうやったって誰も僕には映画を作らせてくれないことを、その5年間で思い知らされた。そこで最初の脚本『トゥルー・ロマンス』を売って、3万ドルの自己資金を作ったんだ。 悔しかったよ。自分の身を切られるような思いだった。腹も立った。その状況の中、以前から考えていた『レザボア・ドッグス』を4週間で一気に書き上げた。それで3万ドルを使って友人に出演してもらい、16ミリで撮影するつもりだった。 ところが、この新しい脚本を読んだパートナーのプロデューサー(ローレンス・ベンダー)が、「面白いからもう一度売り込もう」と言い出した。これ以上無為な日々を過ごしたくなかったタランティーノは、2ヶ月の期限を条件に再び挑むことにした。もしダメでも16ミリで撮ればいい。だから話し相手とは一切妥協なんかしない。 その開き直りの態度が功を奏したのか、今度は次々と協力者が現れた。その一人が知り合いから紹介されたハーヴェイ・カイテルだった。ハーヴェイは脚本を読むと、たった3日でタランティーノに返事を出した。「気に入った」 大好きな俳優からそう言われて、タランティーノは歓喜した。有名俳優が出るということで、資金繰りは突然楽になった。しかもハーヴェイはプロデュースまで引き受けてくれた。こうしてビデオ屋で働いていた無名の28歳の映画オタクが、遂に監督デビューすることになったのだ。 脚本を読んで興奮したね。裏切り・信頼・忠誠について書かれたとても素晴らしい作品で、これは絶対に映画化にこぎつけたいと思い、クエンティンとローレンスに「何かできることがあれば手伝いたい」と申し込んだんだ。若い才能ある人たちとの仕事は、まるで最高の旅行でもしてる気分だった。クエンティンは凄い奴だよ。 集まってきた俳優はハーヴェイのほか、ティム・ロス、マイケル・マドセン、クリス・ペン、スティーヴ・ブシェミら。リハーサルは1991年7月から2週間に渡って行われ、クランクイン。ロサンゼルスにある元死体安置所などを使って5週間で撮影された。 出来上がった『レザボア・ドッグス』は、世界各地の映画祭で絶賛。数々の賞を獲得する。マド..
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意外と知らない『塔の上のラプンツェル』クイズ!

映画が日本で公開されたのって、いつだっけ…? View Entire Post ›
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『ホーム・アローン』の季節だよ!どれだけ内容覚えてる?

意外とちゃんと観たことないな…って人多いよね。 View Entire Post ›
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