2021-12

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アマデウス〜 衝撃の告白「モーツァルトを殺したのは私だ。あいつは私の憧れだった」

クラシック音楽の話題を口に出すと、上品だとか教養だとかいまだにそんな印象を持っている人が意外に多い。ピアノやバレエを子供に無理矢理習わせるというのもこれに近いと思う。要するに、こう見られたい。そう思われたい。純粋に音楽に取り憑かれることとは程遠い感覚を目にすることがある。「ジャズは何かオシャレだから」「美術鑑賞はデートコースの一環で」にも同じ臭いがするのは気のせいだろうか? ブルーノートでモダンを演っていた偉大なジャズマンのほとんどは夜の世界に生きるアルコールや薬物中毒者だったし、ゴッホもモディリアーニも生きている時には何一つ評価されなかった。そしてクラシック音楽において最も有名と言ってもいいモーツァルトでさえ、当時は主流から外れまくった異端の音楽に過ぎなかった。誰もが悲しいくらい苦悩していた。 映画『アマデウス』(AMADEUS/1984)は、そのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの姿を通じて、現代人の文化や芸術に対する生ぬるい消費感覚を一蹴してくれるような、超一級のエンターテインメント作品だった。監督はミロス・フォアマン。撮影は冷戦の影響下だったプラハで行われ、アカデミー作品賞や主演男優賞をはじめ8部門を受賞。 幼少時代のモーツァルトは厳格な父親に連れ回され、猿回し的な神童ショーをヨーロッパ各地で行った。4才で最初のコンチェルト(協奏曲)、7才でシンフォニー(交響楽)、12才でオペラ(歌劇)を書いたと言われるモーツァルトは確かに普通の子供ではなかったが、この巡業期は大して問題ではないことがこの映画からも分かる。加えて変態で好色だったことも。 注目すべきは、モーツァルトの本当の才能が開花する20代と、反伝統的な彼の新しい音楽を理解できるはずがなかった当時のヨーロッパ貴族社会であり、何よりも心打たれるのは、借金と貧困と酒に溺れた30代(晩年)の生活と、彼の才能と弱点を唯一見抜いていた宮廷作曲家サリエリという男の存在。 私がモーツァルトを殺した。あいつは私の憧れだった。 物語は年老いたサリエリ(F.マーリー・エイブラハム )のそんな衝撃的な告白から始まる。彼は神父に向かって語っていく。噂でしか知らなかったモーツァルト(トム・ハルス)との出会い。それによって自分の才能が薄っぺらくて意味のないものになってしまったこと。信仰深い生真面目な自分がやがて神を激しく憎ん..
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ブラインド・ウィリー・ジョンソン〜NASAボイジャーに乗って宇宙へ旅立ったブルーズマン

ブルーズの壮大な歴史を振り返ろうとする時、その幕開けである20世紀初頭のカントリー・ブルーズを担った男たちの中には、視力を奪われた者が多いことに気づく。その理由については、以前のコラム『伝説のブラインド・レモン・ジェファーソンは本当に“盲目”だったのか?』で述べた。 今回紹介するブラインド・ウィリー・ジョンソンもその一人。ギターの弾き語りで神の教えを説く宗教歌がレパートリーだったジョンソンの場合、カントリー・ブルーズマンやゴスペル・ブルーズ歌手というよりは、「ギター・エヴァンジェリスト(伝道師)」と表現した方が正しい。 ただ、強烈なダミ声のシャウトやポケットナイフを使った魂を揺さぶるようなスライド奏法は極めてブルーズ感覚が強く、ジョンソンは数多くのブルーズマンやロックミュージシャンから常に研究対象にされてきた。 ブラインド・ウィリー・ジョンソンの名は知らなくても、ライ・クーダーのデビュー作や映画『パリ、テキサス』で聞こえてくる「Dark Was the Night」、エリック・クラプトンの生還作『461 Ocean Boulevard』の冒頭に収められた「Motherless Children」、レッド・ツェッペリンの『Presence』収録の「Nobody’s Fault but Mine」、そしてボブ・ディランのデビュー作に収録の「In My Time of Dyin’」などは熱心な音楽ファンなら一度は耳にしたことがあるはず。これらは一人のギター・エヴァンジェリストとその歴史的録音を通じて再発見・アレンジされた曲なのだ。 また、音楽ドキュメンタリー『The Blues』シリーズの1本、ヴィム・ヴェンダース監督の『ソウル・オブ・マン』でブラインド・ウィリー・ジョンソンのことを知った人もいるだろう。ヴェンダースと共に本物の音楽を追求してきた旅人ライ・クーダーは、生涯をかけて必死でジョンソンのスライド・スタイルで弾こうと試みてきたと言う。 彼にはとんでもない器用さがある。火花を散らすようなメロディーラインのすべてを弾くことができる。素晴らしいシンコペーションがあり、親指を強く動かし続けている。少ししか弾いていないのに、一体どうやったらあれほどの活気のあるサウンドを生み出せるのか、僕には分からない。 ブラインド・ウィリー・ジョンソンは1897年にテキサス州マーリンに..
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時計じかけのオレンジ〜キューブリック監督が封印して25年も再上映されなかった衝撃作

「最初はミック・ジャガーがアレックス役で、他のメンバーが仲間のドルーグ役をやるって話だった」 イギリスの俳優マルコム・マクダウェルがそう話すと、会場から笑いが起こった。講演に集まった人々にはミックが政治家愛用の山高帽をかぶり、白い服を着てアイメイクをしている姿が容易に想像できたのだろう。 確かにドラッグ入りミルクを飲み、ロシア語と英語で作られたスラング「ナッドサット言葉」を多用しているロックスターも悪くはない。当初はそういう案もあったらしいが、スタンリー・キューブリックの頭には主役のアレックスは一人しか思い浮かばなかった。この暴力的な役を演じる俳優には、知性と無邪気さを醸し出せる絶対的な演技力が必要だった。マルコムしかいなかったのだ。 キューブリック作品の中でも社会を騒がせ、賛否両論の渦に巻き込まれた問題作といえば、『時計じかけのオレンジ』(A Clockwork Orange/1971年)だろう。原作であるアンソニー・バージェスの同名小説を手渡された時、キューブリックははじめ難色を示して企画を却下した。 だが同じジャンルの映画を撮ることはなかったカメレオンのようなキューブリックは、常に革新的であり続けたかった。だからこそあの『2001年宇宙の旅』(1968年)の後に選ぶ素材は、意表を突くものでなければならない。“性の解放”が叫ばれた60年代から70年代へ。時代の関心が“若者”や“暴力”へ向いているのが分かると、キューブリックは再び小説を手に取った。 バージェスの原作をもらったのは『2001年宇宙の旅』の撮影中だった。長い間、本棚に眠っていたが、ある晩ふと目にして読み出したら面白くて、一度も椅子から立ち上がらずに読み終えてしまった。最初の章で映画になると思い、次の章で興奮し、それから何日かはこの本のことで頭がいっぱいになった。私は本選びには慎重で、いい加減な気持ちで仕事を始めたことは一度もない。惚れ込むことが必須条件だ 映画会社からは低予算を提示され、ならば「そんな少ない額でも凄い映画が作れる」ことを証明しようと奮い立つ。ロケが多くなったのはそのためだ。完璧主義者としても知られるキューブリックはひらめきが生まれるまで何度もリハーサルを重ね、スタッフや俳優たちを疲れさせた。 だが映画作りへの情熱は止まらない。どんな人間からもいいアイデアがあれば取り入れようとした。..
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イアン・マクレガンを偲んで〜スモールフェイセスからフェイセズへ

2014年12月3日、スモール・フェイセス及びフェイセズのメンバーとして知られるキーボードプレイヤーのイアン・マクレガンが天国へ旅立った。 亡くなる前日に脳卒中を起こし、この20年住んでいる米テキサス州オースティンで家族や友人に看取られる中、運ばれた病院で永眠したという。69歳だった。 セッションミュージシャンとしても活躍した彼は、これまでにザ・ローリング・ストーンズ、チャック・ベリー、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、ジャクソン・ブラウン、ジョー・コッカー、レニー・クラヴィッツ他多くのミュージシャンと共演してきた。 彼はフェイセズの再結成を望んでおり「2015年にやれそうだ」と話していたばかりだったという。 この訃報を受けてロッド・スチュワートは悲しみのコメントを寄せた。 僕は完全に打ちのめされている。イアン・マクレガンはフェイセズの真のスピリットを形づくった。昨晩、チャリティーのショーをやっていて、ミック・ハックネルが「I’d Rather Go Blind」を歌っているそのとき、ロン・ウッドからイアンが亡くなったって知らせをもらった。まるで彼のスピリットがそこにあったかのようだった。 友よ、寂しくなるよ。 また、イアン・マクレガン、ボビー・キーズと続けて2人の友人を失ったロニー・ウッドは「ボビーとマックに神のご加護を」と追悼の言葉を寄せた。 スモール・フェイセス、そしてフェイセズのドラマーだったケニー・ジョーンズも「この衝撃の知らせに僕はひどくショックを受けている。ロッドとロンも同じだと思う」と短いコメントを寄せた。 1969年も終わろうとしていた頃、ロッド・スチュワートとドラマーのケニー・ジョーンズは、ハイゲート(ロンドン中心部カムデン・ロンドン特別区‎にある地区)にある『ザ・スパニヤード』という居酒屋で軽く一杯ひっかけていた。 ケニーはその夜もドラムの練習に出かけるつもりでいたのだが、酒を呑みながら突然ロッドにFaces(フェイセズ)への加入を勧めはじめた。 実はロッドの方もバンドに勧誘されるのを待っていた気持ちがあった。 当時、ロッドは彼らの音も気に入っていたし、メンバーのことも心良く思っていた。 それに、そのバンドに加入したばかりのロン・ウッドと親友でもあったのだ。 ロッドが喜んでケニーの申し出を受け入れると、二人は車を飛ばして他のメン..
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54(フィフティ★フォー)〜ウォーホルやミック・ジャガーも夢中になった伝説のクラブ

人はそこに住んでいる。 そこでダンスをする。 そこで酒を飲む。 そこで友達を作る。 そこでセックスをする。 そこでビジネスをする。 そこで眠る。 アンディ・ウォーホルは、自分が毎晩のように入り浸っていた“ある場所”についてそう語ったことがある。それは「スタジオ54」。ニューヨークのマンハッタンにあった伝説のディスコだ。 1977年4月26日にオープンした「スタジオ54」は、瞬く間にナイトライフを楽しむ人々の間で話題になる。出入りしたのはアート、ファッション、音楽、映画、文学といったカルチャーシーンのセレブリティをはじめとする高感度なゲストたち。 アンディ・ウォーホル、トルーマン・カポーティ、サルバドール・ダリ、ミック・ジャガー、ルー・リード、デヴィッド・ボウイ、エルトン・ジョン、フレディ・マーキュリー、デボラ・ハリー、マイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロス、エリザベス・テイラー、フェイ・ダナウェイ、ライザ・ミネリ、ブルック・シールズ、アル・パチーノ、シルヴェスター・スタローン、ジョン・トラボルタ、ウディ・アレン、カール・ラガーフェルド、カルバン・クライン……。 オペラハウスを改造した内装、ダンスフロアの巨大なオブジェ(月の男と麻薬用のスプーン)、ステージでのライヴといった眩い光景に彩られながら、「スタジオ54」の巨大なパーティは始まった。仕掛けたのはステーキハウスの経営からのし上がったオーナー、スティーヴ・ルベル。ここに来れば、金もセックスも、ドラッグも名声も、チャンスや成功もすべてを手に入れられる。ただし、誰でも無差別に入場できるわけではない。 「ヴェルヴェット・コード」と呼ばれるルベル自らがエントランスで行う厳しい(実は気まぐれな)チェックで、客はどんな社会的立場であろうと店に選ばれるシステムなのだ。入れること自体がステイタス。セレブたちにはスポットライトの快感を、名もなき若者たちには甘い夢を、マスコミにはスキャンダルを。常に話題を提供し続ける発信源「スタジオ54」は、次第に伝説と化していった。 映画『54(フィフティ★フォー)』(54/1998)は、一人の若者の姿を通じてパーティの華やかさと裏側に潜む虚しさを描いた傑作。伝説のディスコを舞台にした青春映画として、強い印象を残す作品となった。 1979年。ニュージャージーのガソリンスタンドで働きながら、いつも対岸..
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コットンクラブ〜ギャングが経営した伝説のナイトクラブとジャズを描くコッポラ監督作品

フランシス・フォード・コッポラ監督の『コットンクラブ』(The Cotton Club/1984)は、1920年代後半から30年代前半にかけて人気を誇った伝説のナイトクラブを舞台に、ジャズと銃弾、愛とセックスに生きる男と女の姿を描いた傑作。 1920年に制定された禁酒法は、「スピークイージー」と呼ばれる“もぐり酒場”とそこに絡むギャングの闇ビジネスを活気づけた。そんな空間で必要不可欠なエネルギーとして機能したのがジャズであり、やがて「狂乱の20年代」のサウンドトラックとなっていく。特に需要のある高級クラブではジャズ・バンド/ダンス・バンドは持てはやされた。 1927年12月、NYのハーレムに新装オープンした「コットンクラブ」はその象徴。経営者はアイルランド系のギャング、オウニー・マドゥン。舞台に上がるのは黒人たちだが、客席は白人のセレブリティや連れられたフラッパーたち。“綿花畑”の名の通り、南部の黒人をテーマにした演奏やダンスが繰り広げられた。 スターも数多く生まれた。中でもクラブと専属契約を結んだデューク・エリントンは1927〜1932年まで出演。彼とその楽団はこの5年間で絶大な名声を確立。 トランペットが叫び、クラリネットがすすり泣き、トロンボーンが咆哮する。そんな「ジャングル・サウンド」で連日連夜のように客席を沸かし、ジャズの発展にも大きな貢献した(この頃録音されたデューク・エリントン楽団の音楽はアンソロジー盤などでまとめて聴ける)。また、コットンクラブが生んだスターは他にキャブ・キャロウェイ楽団などが有名。 映画は1928〜1932年を設定し、音楽とダンスの興奮、男と女の恋の行方、ギャングの争いなどをエンターテインメント化。5000万ドル(当時のレートで120億円!)という大金を使って完璧な再現を魅せる。 ちなみに製作者のロバート・エバンスは「この映画は金を吸い尽くす吸血鬼だ」と嘆き、資金調達に苦しんだ。遂にはLAのコカイン密輸に関係する未亡人にスポンサー探しを依頼。ようやく見つけたスポンサーが何者かに殺され、死体となって発見。疑惑はエバンスにも掛けられ、潔白は証明されたものの、「次に殺されるのは俺かもしれない」としばらく姿を消したというエピソードもある。 主演はリチャード・ギア。ビックス・バイダーベックやジョージ・ラフトをモデルにしたディキシー・ドワイヤー..
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ローズ〜すべての歌い手とロックを心から愛する人々に捧ぐ

その圧倒的な演技力と歌唱力で、観る者の心を完全に魅了してしまう女性エンターテイナーが稀に存在する。映画ファンや音楽ファンなら、まずはバーブラ・ストライサンド、ライザ・ミネリ、そしてベット・ミドラーの名を挙げておかなければならない。バーブラの『スター誕生』やライザの『ニューヨーク・ニューヨーク』も素晴らしかったが、何と言っても『ローズ』(THE ROSE/1979)には心打たれた。 スーパースター歌手の愛と激情と孤独な魂を描いたこの作品は、よくジャニス・ジョプリンの自伝映画と思われているがそうではない。主人公のモデルの一人になっていることは確かだが、1960年代後半という黄金と激動のロック時代を築いた複数のアーティストのスピリットが全編に漂っている。 ベット・ミドラーはこれが初めての主演映画で、いきなりアカデミー主演女優賞にノミネートされた。ハワイ生まれの彼女は映画のエキストラ出演がきっかけで女優を目指すことを決意。NYへ渡った後、劇団やブロードウェイの舞台、バス会社の娯楽興行やナイトクラブ巡業、レコードやコンサート活動と着実にキャリアを磨いていった(この間、トニー賞とグラミー賞も受賞した)。 『ローズ』ではそんな彼女を通じて、ロックスターの傲慢、純真、不安、絶望といった様々な表情を見ることができるが、演技の幅広さ、リアルさには思わず痺れてしまう。 また、歌声もたまらなく魅力的で、これぞロックという曲から味わい深いソウルバラードまで見事に歌い上げる。エンディングで流れるタイトル曲は余りにも有名だが、それ以外の「Stay with Me」や「When a Man Loves a Woman」などすべての曲に耳を傾けたくなる。映画には三つのコンサートシーンが収録されているが、その迫力と熱気、セックスアピールが凄まじい。 物語は、すべてに疲れたスーパースター歌手であるローズ(ベット・ミドラー)が「1年間の休みを取りたい」とマネージャーに懇願するところから始まる。しかし、ロックが一大ビジネスとなった状況ではそんな甘えは通じるはずもなく、契約通りにツアーを続ける羽目になる。取材陣に笑顔でリップサービスするローズの心はズタズタだった。 セックス、ドラッグ、ロックンロールの日々を送り続ける彼女は、ある夜、ダイアーという軍隊を脱走してきた男と出逢って恋に落ちる。激しく求め合う二人。ダ..
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