2021-12

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ウルフ・オブ・ウォールストリート〜実在した破天荒な株式ブローカーの成り上りと破滅

マーティン・スコセッシ監督がレオナルド・ディカプリオと5度目のタッグを組んだ『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(The Wolf of Wall Street/2013)は、実在したウォール街の株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォートのクレイジーな成り上り、放蕩ぶり、そして逮捕までの道程を描いた衝撃のエンタテインメントだった。 原作はベルフォートが綴った回想録『ウォール街狂乱日記〜「狼」と呼ばれた私のヤバすぎる人生』。わずか26歳で証券会社を立ち上げ、貯金ゼロから年収49億円を荒稼ぎするまでに至り、36歳の若さで楽園を追放された男の破天荒な人生が描かれていく。ちなみにやってることはメチャクチャ。これが面白くないわけがない。 一攫千金を夢見るベルフォート(レオナルド・ディカプリオ)は、学歴なしコネなしの不安要素を乗り越え、24歳の時にウォール街の歴史ある証券会社に潜り込むことに成功。電話の取り次ぎ役としてスタートする。 右も左も分からない新人をランチに誘ってくれたのはカリスマブローカーとして君臨するマーク(マシュー・マコノヒー)。酒と女とコカインに明け暮れる上司の姿に圧倒されるベルフォートに、マークは業界のルールを叩き込む。 いいかい。君がもしウォーレン・バフェット(世界で最も成功した投資家。その資産約約8兆9000億円)だとしても、株が上がるか下がるなんてそんなことは誰にも分からない。それは幻だ。存在しないんだ。客が儲けたらまたその金ですぐにまた投資させろ。観覧車に乗せ続けるんだ。それを繰り返せ。客は金持ちになった気分でいる。紙の上でね。君は客のためではなく、君と君の家族のために、何があっても“手数料”で稼ぎ続けることだけに専念しろ。 そして1987年10月19日(月曜)、半年間の修行期間を経たベルフォートのデビューの時がやって来る。しかしその日は1929年以来の大暴落が勃発。「ブラックマンデー」と呼ばれることになった。1899年創業の会社は脆くも破綻してしまい、ベルフォートは元の生活に戻った。 ある日職探しをしていると、妻が見つけた新聞の求人広告に目がとまる。すぐに面接に出向くと、そこはガレージ規模の中小企業を扱う、いわゆる店頭公開のペニー株専門会社だった。客はこんな会社に投資してもまず儲かることはない。だが会社の手数料が驚異の50%であることを聞かされると..
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エディット・ピアフ27歳〜ユダヤ人作曲家との戦火の恋、運命のメロディーPadam Padam

稀代のシャンソン歌手、エディット・ピアフ。 本名はエディット・ジョヴァンナ・ガシオン。 1915年12月19日、彼女はパリ20区の貧しい地区ベルヴィル街で生まれた。 父親は大道芸人で、母親はカフェや酒場などで歌う歌手だった。 幼少期は孤独で、親戚から親戚へと転々とし、祖母の経営する売春宿で育てられた時期もあったという。 幼い頃から“唄うこと”が大好きだった彼女は、13歳で親戚の家での肩身の狭い生活を離れ、パリの道端で歌う仕事を選択する。 パリのあまり裕福でない地区ピゲールの路上で、観光客や住人相手に歌い続け、聴き入る人たちに使い古しの帽子をまわして生活費を得る暮らしを何年もの間続けていたという。 その小さな体で歌う姿から“ラ・モム・ピアフ(小さなスズメ)”と呼ばれたことをきっかけに、ピアフ(スズメ)という芸名がつけられた。 ──第一次世界大戦の真っ只中に生まれた彼女がやっと独り立ちをしちようとしていた頃…ヨーロッパには“次の戦争”の足音が忍び寄っていた。 そしていよいよ歌姫となって飛躍を遂げようとしていた1940年(当時24歳)といえば、パリがナチスドイツの占領下に置かれるという最悪の状況だった。 自由な言論の一切が禁じられることとなった戦火の下で、彼女はウクライナ(当時オーストリア=ハンガリー帝国領)生まれの作曲家ノルベルト・グランツベルクと出会う。 生後すぐにヴュルツブルク(ドイツ連邦共和国バイエルン州ウンターフランケン行政管区の郡独立都市)に移り住んで育ったという彼は、ピアフよりも5つ歳上のユダヤ人だった。 ドイツの大手映画会社UFA専属の作曲家・ピアニストとして活躍していた彼は、ゲシュタポの手から逃れてパリに移り住んでいた。 パリでは亡命者への労働許可書はなく、彼は危険でいかがわしい街の一角で、鉛筆や消しゴムを売りながら日々をしのいでいたという。 着の身着のままで逃亡してきた彼は、数ヶ月後にやっとの思いでアコーディオンを手に入れて、路上で演奏したり、ダンス音楽の伴奏をしたり、小さなオーケストラと共演しながら作曲を買い取ってもらったりしながら徐々に音楽で生計を立ててゆく。 場末の小さな楽団の固定メンバーとしてピアノを弾いていた時に出会ったのがピアフだった。 彼女は歌い終わるとブリキの皿をもって客席を回り、僅かばかりのチップを集めていたという。 グランツベルクは..
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ゴダイゴの「モンキー・マジック」が発売された日

1978年(昭和53年)12月25日、ゴダイゴの「モンキー・マジック」(日本コロムビア)が発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「UFO」/ピンク・レディー 2位「サウスポー 」/ピンク・レディー 3位「モンスター」/ピンク・レディー 4位「君のひとみは10000ボルト」/堀内孝雄 5位「微笑がえし」/キャンディーズ 60階建の超高層ビル「サンシャイン60」が開館、新東京国際空港(現成田国際空港)開港、24時間テレビ「愛は地球を救う」放送開始、ディスコブーム、日中平和友好条約調印、サーフィンファッション大流行して、原宿に竹の子族登場した年でもある。 1978年はゴダイゴにとって大きな転機となった年である。 6月末から9月にかけて全国ツアー『Char Super Concert with Godiego in Summer』を行い、ここで彼らは初めて日本武道館のステージに立つことになった。 同年に発表したこの「モンキー・マジック」は、日本テレビ系ドラマ『西遊記』『西遊記II』のオープニングテーマとしてタケカワユキヒデが作曲を手掛け奈良橋陽子が作詞をしたもので、全部英語詞の楽曲がベストテンに入るほどの大ヒットとなったのは、当時としては極めて異例な出来事だった。 ゴダイゴのメンバーにはアメリカ人と日本人の間に生まれたスティーヴ・フォックス(Ba)と、アメリカ人のトミー・スナイダー(Dr)というメンバーが在籍していた上、北米での生活が長かった奈良橋陽子がプロデューサー兼作詞家であったことで、彼らにとって英語詞で歌うことは自然なことだったという。 歌詞の内容は、一匹の猿 (monkey) が仙術(魔法=magic)で好き勝手なことをして、天の怒りに触れて罰せられるが、優しい僧侶に救われて西方への旅が始まるという『西遊記』の物語そのものである。 ある日、彼らのもとに日本テレビの開局25周年ドラマ『西遊記』の音楽担当のオファーが届く。 それは物語を彩るサウンドトラックに加えて、オープニングテーマ曲、エンディングテーマ曲までを手掛けるという大がかりなものだった。 ドラマ『西遊記』が放送された1978年は、日中平和友好条約が調印された年であり、当時としては画期的な中国ロケが中華人民共和国中央広播事業局の協力のもと行なわれたという。 放送枠は、大河ドラマ(NHK)..
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ジェームス・ブラウン/最高の魂(ソウル)を持つ男〜伝説の裏に隠された真実と友情

「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」「ファンキー・プレジデント」「ショービジネス界一番の働き者」「ソウル・ブラザー・ナンバー・ワン」などの愛称で知られるあの「JB」こと、ジェームス・ブラウンの伝記映画『ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男』(Get on Up/2014)。 ライブシーンが圧巻のエンターテインメント作品というだけでなく、これまでの数々の伝説の裏に隠された真実が描かれつつ、一人の苦悩する男の人間ドラマとして実に見応えあるストーリーとなった。 ジェームス・ブラウンは、俺にインスピレーションを与えてくれた。たくさんのことを彼から学んだよ。彼の動きを真似るということではなく、彼の態度、仕事ぶり、そうしたものを学んだ。彼が成し遂げたことを尊敬している。彼の伝記映画の作り手となれて光栄だ。 プロデューサーの一人としてローリング・ストーンズのミック・ジャガーが参加。監督はテイト・テイラー。16歳から63歳までのJBを演じるのはチャドウィック・ボーズマンで、独自のダンスやシャウト歌唱、南部訛りの話し方、派手な衣装や髪型、スプリット(股割り)まで見事に再現していて凄い。そしてダン・エイクロイドがマネージャー役で出演している。映画はジェームス・ブラウンの音楽を知ったうえで観ると当然何倍も楽しめる。 1956年に「Please, Please, Please」でデビュー。その後「Try Me」などのR&B/アーリーソウル・バラードを連発していくが、決定的なヒットには恵まれなかった。しかし、1962年にアポロ劇場でのライブ録音をレコードにするアイデアを思いつき、会社が反対したために自費で制作したところ、これが大ヒット。「誰かのやり方を追ったり従うのではなく、自分の道は自分で切り開く」信念が本格化する。 1964年にはファンキー・ソウルの出発点である「Out of Sight」、翌年には「I Got You (I Feel Good)」や「Papa’s Got a Brand New Bag」などをリリース。同時代に一大勢力となっていたモータウンのノーザン・ソウルに唯一対抗できるサウンドと言われた。 「It’s a Man’s Man’s Man’s World」「Cold Sweat」「Say It Loud – I’m Black and I’m Proud..
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ドリーム〜NASAでの差別や偏見に挑んだ黒人女性たちの“知性と強いハート”を描いた感動作

1957年10月4日。アメリカと冷戦状態にあったソ連が人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功した。宇宙が「まだ見ぬ未知の光景」だった状況がこれによって一変。さらにその一ヶ月後にはソ連は早くも犬を乗せて2号を打ち上げ。 “鉄のカーテン”の中で起こったこの立て続けの現実に一番衝撃を受けたのは、言うまでもなくアメリカだった。「もう先を越されてはならない」。アメリカは本格的な宇宙開発に取り組むべく1958年10月にNASAを設置。翌年には宇宙飛行に相応しい人材探しを始める。こうしてカプセルに人間を入れて宇宙に打ち上げるという、有人衛生計画「マーキュリー計画」が早急に進められていく……。 『ライトスタッフ』は、マーキュリー計画に選ばれた7人の宇宙飛行士の葛藤と栄光、彼らが憧れた真のパイロットである孤独なチャック・イェーガーに焦点を当てた物語だった。また、『遠い空の向こうに』は、夜空に弧を描き流れていくスプートニクを見上げながら、「いつか自分でロケットを打ち上げたい」と心奪われた少年たちの夢を描いていた。 今回紹介する『ドリーム』(Hidden Figures/2016)はNASA内部からの視点。宇宙飛行士だけでなく、コントロールセンターのスタッフ、開発エンジニアをはじめ様々な人々が関わり合うこの場所で、偉業を成し遂げた3人の黒人女性数学者たちの“隠された姿”を追った感動作だ。 舞台となるのは1961年、ヴァージニア州ハンプトンのNASAラングレー研究所。西計算グループには優秀な頭脳を持つ黒人女性たちが集い、計算手として働いている。その中には頼れるリーダー格のドロシー・ヴォーン(オクタヴィア・スペンサー)、技術職に興味があるメアリー・ジャクソン(ジャネール・モネイ)、そして天才的な数学の才能を持つキャサリン・ゴーブル・ジョンソン(タラジ・P・ヘンソン)らがいる。 しかし、この時代のアメリカ南部がそうだったように、最先端のNASAにおいてでさえ、ホワイト(白人)とカラード(有色)の人種差別が満ちていた。劣悪なオフィス環境や位置だけでなく、給与や待遇も白人と比べて明らかに差があるのだ。 ドロシーは長年空白になっていて自分が代行している管理職への正式昇進を希望しているものの、上司のミッチェル(キルスティン・ダンスト)から「黒人グループには管理職を置かない」と却下されてしまう..
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Happy Xmas (War is Over)〜ジョンとヨーコが出した異例の広告看板から生まれた切なるメッセージソング

クリスマスがやってきた(争いは終わるよ) 弱き人にも強き人にも(それを望みさえすればね) 富める人にも貧しき人にも(争いは終わるよ) 世界はひどい過ちを犯しているけど(それを望みさえすれば) それは1969年12月の出来事だった。 ベトナム戦争の真っ最中にジョン・レノンは結婚したばかりのオノ・ヨーコと共に、世界11都市に“WAR IS OVER “IF YOU WANT IT”(あなたが望めば戦争は終わる)と、異例の広告メッセージを発信した。 その3年後(1971年)に発表されたのがこの楽曲「Happy Xmas (War is Over)」だった。 歌は“Happy Xmas Kyoko, Happy Xmas Julian”と囁く声でスタートする。この“Kyoko”は“Yoko”と間違われやすいのだが、ヨーコと前夫の娘の京子であり、“Julian”はジョンの最初の妻シンシアとの間にもうけられた息子ジュリアン・レノンのことある。 この曲は二人の子供達へのプレゼントして作られたとも言われている。 しかし“Kyoko”と“Yoko”の名前を間違えるのも当然で、この曲が収められたアルバム『Shaved Fish』についていた歌詞カードには、当時“Yoko”と誤植されていたのだ。 フィル・スペクターのプロデュースによる“ウォール・オブ・ サウンド”が秀逸で、楽器でなくコーラスで盛り上げてゆくところにジョンとヨーコの“強い想い”を感じずにはいられない。 弱き人も強き人も、富める人も貧しき人も、黒人も白人もアジア系もヒスパニック系も…全ての人が戦争を止めてクリスマスと新年を迎えようというメッセージがストレートに伝わってくる。 歌詞では「戦争は終わった」と唄われてはいるが、実はこの曲が発表された1971年といえば…泥沼化したベトナム戦争はまだ終わっていなかった。 実際に終結するのは、それから数年後のこと。 前述の通り、歌詞のテーマは1969年に「WAR IS OVER “IF YOU WANT IT” Merry Christmas from John and Yoko」と書かれた広告をニューヨークのタイムズスクエアの看板やメジャーな新聞などに掲載し、世界平和を呼びかけたことから生まれたという。 長い歳月を経て…1998年にもヨーコは同じものを再び掲示して世界中に平和を呼びか..
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Silent Night(きよしこの夜)〜ネズミにかじられて壊れたオルガンのおかげで!?誕生したメロディー

クリスマスキャロルの中でも最も親しまれている歌と言えば、この「Silent Night(きよしこの夜)」だろう。 このシーズンになると世界中の教会(キリスト教の礼拝)で合唱されるという聖歌だ。 一説によると、イタリアのシシリー島に古くから伝わる民謡がルーツともされているらしい。 実はこの歌には、誕生にまつわるちょっと面白いエピソードがある。 ある資料によると…1818年のクリスマス(12月25日)に、オーストリアのオーベルンドルフという村にあった聖ニコラウス教会で初めて演奏されたという。 オーベルンドルフは、モーツァルトの生誕地として有名なザルツブルクから車で北へ20分ほどの山間地にあり、ザルツァハ川をはさんでドイツ国境に接している小さな村だ。 それは(前日の)24日の朝の出来事だった。 当時、その村に一台しかなかった教会のオルガンがネズミにかじられて使い物にならなくなっていたことが発覚する。 助任司祭だったヨゼフ・モール(当時36歳)は、この事態を知り困り果てていた。 「明日はクリスマス!このままではミサができない!」 彼は頭を抱えながら2年前(1816年)に、いつか子供達に唄わせようと自作していた歌詞(原詞はドイツ語)があったことを思い出す。 「いつもオルガンで伴奏している讃美歌は無理でも、この歌詞に何とか曲をのせて唄えば形になるかもれない!」 彼はさっそく、教会専属のオルガン奏者で小学校教師でもあったフランツ・クサーヴァー・グルーバーに自作の歌詞を渡して作曲の依頼をした。 曲をのせるにあたって、ちょっと“無茶ぶり”とも言える2つの注文がつけられたという。 「明日のミサに間に合うように24時間以内に完成させて欲しい。」 もう一つの注文は、オルガン奏者のフランツに対して… 「ギターで唄える讃美歌として伴奏アレンジを仕上げて欲しい。」 当時、ギターは宗教行事で使われる楽器ではなかったので、それを聞いたフランツは「教会でギターを弾くなんて…」と懸念したという。 ヨゼフの熱心な説得もあって、その“無茶ぶり”を了承したフランツは、一晩中懸命に取り組み…約束通りに曲を完成させた。 ヨゼフの手元に譜面が届いたのは、教会でミサが始まるわずか数時間前のことだったという。 25日、いよいよクリスマスのミサの当日の夜となった。 ギター演奏による「Silent Night(きよしこの..
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戦場のメリークリスマス〜デヴィッド・ボウイと坂本龍一とビートたけしが出演した大島渚監督作品

私はボウイを“使った”のではない。私の持論だが、監督は出演者を選ぶけれども、出演者もまた監督や作品を選ぶ。ボウイやタケシやサカモトが私を選んでくれたおかげで、『戦場のメリークリスマス』は完成した。そのことは日本のみならず世界の驚異だった。 大島渚監督らしい言葉だ。「一に素人、二に歌うたい、三、四がなくて五が映画スター。六、七、八、九となくて十に新劇」と自ら言うほど、映画の配役には独自の美学を貫き通してきた。 1959年に松竹で監督デビュー。“日本ヌーヴェル・ヴァーグ”の旗手としてその名を知られるようになる。61年退社後は独立プロを設立。以降、映画やTVドキュメンタリーなどを撮り続ける。そして76年にフランス資本が入った『愛のコリーダ』、78年には『愛の亡霊』を発表。後者でカンヌ映画祭監督賞を受賞し、世界的巨匠としての地位を確立。 その直後、サー・ローレンス・ヴァン・デル・ポストの『影の獄にて』という本と出逢う。「影さす牢格子(クリスマス前夜)」「種子と蒔く者(クリスマスの朝)」「剣と人形(クリスマスの夜)」の3部からなるこの連作小説を読んだ大島は映画化を思い立ち、今度は日本資本のあてを探しながら何度もシナリオを書き直していった。 結果的に日英合作となった『戦場のメリークリスマス』(Merry Christmas Mr.Lawrence)は4年の準備期間を経て制作され、遂に1983年5月28日に劇場公開に至る。制作費は16億円。撮影場所はニュージーランド自治領のラロトンガ島がメインで、回想エピソードや軍事法廷のシーンはオークランドでのロケ。 400名を超える日本人と外国人で構成されるスタッフとキャストらが人口わずか7000人の島に滞在し、10週間の撮影に取り組んだ。映画のストーリー同様に“心を通わせたい”という気持ちの交流もあって、とてもいい雰囲気の中で仕事は進んだという。大島はこの時言ったそうだ。「撮っている時が一番ハッピーなんだ」 戦闘シーンがあるわけでもなく、戦争の時代を描いた映画でもない。しかも男しか出てこない。『戦場のメリークリスマス』は不思議な映画だった。“やおい”的な魅力やメディアミックスを駆使したPRもあって大ヒットしたが、一番の話題を集めたのはやはり異色の配役だろう。 タフで神秘的で気品があるセリアズ役には、当初はロバート・レッドフォードに打診され..
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天使のくれた時間〜都会で独身貴族として生きるか、郊外で家族と共に暮らすか

都会暮らしと郊外暮らし。どちらも経験した人は多いと思う。例えば、地方から東京や大阪に出てきた人。都市出身だけど郊外にマイホームを購入した人など、いろんなケースが想像できる。 目に入る風景や行き交う人々の様子、気軽に立ち寄れる飲食店の数の違い、生活のリズムに戸惑ったことはないだろうか。特に都心のタワーマンションで自由気ままな独身生活を長年続けていて、結婚や子育てを機に郊外に移り住んだ場合など、それまでの世界観とのあまりの相違にちょっと面喰ってしまった。なんて人は少なくないはず。 都会では有効的だった過剰にキラキラしたもの、ギラギラしたものは郊外ではやはり煙たがられ、“あちら側”の価値観は“こちら側”では到底通用しにくい。フォトジェニックな光景なんかどこにも見当たらないし、クールなダンディズムを持ち出したところで、葉巻が吸える洒落たバーなんかないし、公園にいる子供や動物相手では空虚さだけが残ってしまう。今回はそんな話だ。 『天使のくれた時間』(The Family Man/2000)は、ニューヨークのど真ん中の高級アパートでリッチな独身貴族を続ける男が、正反対の環境=ニュージャージーの郊外の住宅街に投げ込まれるストーリー。と言っても、ブレット・ラトナー監督は1946年の名作『素晴らしき哉、人生!』をモチーフにしているので、大人のためのお伽話になっている。 「もしあの時、違う道を選んでいたら?」をテーマにした映画で思いつくのは、『ミスター・ノーバディ』だろう。この映画では3つの人生が交錯して観る者をどこまでも切ない気持ちにさせてくれたが、『天使のくれた時間』は最後には温かい気持ちになる。好みは人それぞれ。素晴らしい映画であることには間違いない。 主演はニコラス・ケイジ。『月の輝く夜に』(1987)、『ワイルド・アット・ハート』(1991)、『ハネムーン・イン・ベガス』(1993)、『リービング・ラスベガス』(1996)、『シティ・オブ・エンジェル』(1998)と毎回違った表情を見せてくれる俳優であり、人間ドラマやコメディだけでなく、アクション映画でも存在感を放つ幅の広さを持っている。この多彩なイメージに惚れ込んだ監督は、『天使のくれた時間』の主人公はニコラス・ケイジしかいないと思ったほど。 (以下、ストーリー。ネタバレあり) 物語の始まりは1987年の空港。若きジャック・..
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ジャンゴ 繋がれざる者〜歴史の犠牲者たちに映画の中で復讐させるタランティーノの世界

ヒトラーをはじめとしたナチスの幹部たちを映画館ごと炎上爆破してしまうという、ユダヤ系の立場からの壮大な復讐制裁劇『イングロリアス・バスターズ』(2009)で、キャリア最高の興行収入を記録したクエンティン・タランティーノ監督。“史実の書き換え”なる新たな手法を見出した彼は、次作で映画オタクである自身のルーツとでもいうべき「マカロニ・ウエスタン」に取り掛かる。 「悪を裁くのは正義ではなく流れ者だ」という世界観を絶対的な美学とするこのジャンルは、言い換えれば監督としての真価が問われる極めてハードルの高い領域。だがタランティーノにとってそれは宿命であり、避けて通れない“映画道”のようなもの。 この愛すべきクレイジーな映画作家は、そこに南部の奴隷制度というアメリカの残虐な過去と向き合うことにも同時に取り組みながら、とんでもなく見応えのある「マカロニ・サザン」を撮り上げた。前作の復讐制裁劇を踏襲した『ジャンゴ 繋がれざる者』(Django Unchained/2012)の完成だ。 アメリカ映画はずっと南部の奴隷制度の実態を描くことを避けてきた。アメリカにとって恥すべき汚点だからだ。俺は歴史の犠牲者たちに、映画の中で復讐させてあげたい。 過去のマカロニ・ウェスタンへのオマージュを忘れることなく、特に本作ではそのタイトルからも分かるように、セルジオ・コルブッチ監督作品(代表作は『続・荒野の用心棒』/原題Django)からの影響が漂う。さらにブラックスプロイテーションやラブストーリーの要素もサンプリングし、唯一無二のクレイジーワールドに到達した。 この種の作品にはお約束の賛否、特に黒人でもあるスパイク・リー監督から猛烈な反論を喰らったりするが、映画に命を捧げるタランティーノはそんなことでは屈しなかった。社会的映画を作ろうとしたんじゃない。誰もやらなかった映画作りに夢中になっただけなのだから。 主役のジャンゴ役はジェイミー・フォックス。ジャンゴを見出すヨーロッパの賞金稼ぎ役にクリストフ・ヴァルツ。さらに映画はもう一組のコンビが登場する。大農園の御曹司役のレオナルド・ディカプリオ、そして奴隷頭役のサミュエル・L・ジャクソン。この4人の凄まじい演技力、そして圧倒的な存在感のおかげで165分の長編も瞬く間に過ぎていく。本作で初の悪役を演じたディカプリオは「この役をやり遂げた今、もうどんな..
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