2022-02

未分類

【診断】おやつの好みからあなたの年齢を当てる

嘘だと思ったら、受けてみて😉 View Entire Post ›
未分類

あのロックバンドやポップスターはいくら稼ぐ!?〜メガツアー歴代興行収入ランキング

ゼロ年代のネットカルチャー浸透やiTunesによる単曲ダウンロード。10年代に入るとスマホやSNSアプリの台頭、新たに定額制のストリーミングサービスも登場。あれだけ飛ぶようにCDが売れまくった90年代とは打って変わり、ベストセラーの量産がほぼ不可能(アデルは例外)となった今の時代。 印税収入が減少するミュージシャンにとって、「ツアーで稼ぐ」(ついでにグッズで稼ぐ)ことはもはや当たり前。70年代のツアーはレコードを売るための宣伝活動だったが、今ではツアーを成功させるための新作リリースのような逆転現象を起こしている。80年代のようにMTVがツアーの役割を果たしてくれた時代も懐かしい。 スター級のロックバンドやポップスターにとって、長期間に及ぶスタジアムやアリーナのツアーを実施するのは、人気を維持するために常に求められる華やかなイベントのようなものだ。そのツアー自体が巨大化したのは80年代に入ってから。ローリング・ストーンズの1981年の「American Tour」が最初だと言われている。 「生き残るための唯一の手段がツアーだ。レコードの印税でもろもろのコストをカバーするなんてできやしない。メガツアーは回し続けなきゃいけない機械のようなもんさ……俺たちがやってるのは小さなロンドンのクラブに出てた1963年とたいして変わってないけどな」(キース・リチャーズ) 「自分たちが客席から“蟻”のようにしか見えないことを意識するようになってね。観客を盛り上げるために、巨大なスクリーンにミックの姿を映したりしなければならなくなった。ショーの規模がこれだけ大きくなると、花火やら照明やら舞台やら、ちょっした“仕掛け”が必要になってくる」(チャーリー・ワッツ) 今回はメガツアーによって人気バンドやアーティストがどれだけ稼ぐのかをランキング化してみることにした。売り上げ、期間、公演数、動員数・・・そのスケールの大きさには驚くばかりだ。 ──ここまでは2019年までの話。2020年のコロナの猛威により、そのツアーでさえ開催困難となっている。 【ツアー収益歴代ランキング TOP 10】 ❶エド・シーラン「÷ Tour」 7億7620万ドル 2017-19年/255公演/880万人動員 ❷U2「U2 360°Tour」 7億3642万ドル 2009–11年/110公演/727万人動員 ❸ガン..
未分類

【診断】恋人がいる?いない? あなたの恋愛状況を当てちゃいます♡

料理の好みでわかっちゃいます😘 View Entire Post ›
未分類

ナインハーフ〜ミッキー・ロークとキム・ベイシンガーが演じた“9週間半”の男女関係

日本の都市で暮らす紳士淑女たちが札束とかくれんぼしたり、消費という名のパーティ・デイズに明け暮れたバブル時代──。 男と女はスタイリッシュな出逢いやゲーム感覚の恋愛を気にかけるようになり、それに紐づくファッションやレストラン、住空間と健康管理、音楽やアートといった情報にやたらと詳しくなっていた。彼ら彼女らが一番恐れたこと。それは流行に遅れてしまうことだった。 『ナインハーフ』(NINE 1/2 WEEKS/1986)はそんな時代の幕開けに日本で公開された。この映画で描かれたのは、まさに享楽的で虚飾的な男女関係における重要なコミュニケーション=セックス。 都市生活を謳歌する怖い者知らずの若い世代が見逃すはずがない。中でも、氷を身体の上で滑らす「ナインハーフごっこ」が話題になった。ハリウッド映画が日本のポップカルチャーに及ぼす影響がまだ強かった頃の話だ。 監督は『フォクシー・レディ』(1980)や『フラッシュダンス』(1983)で女性の目覚めや成長を描いたヒットメーカー、エイドリアン・ライン。様々な企画が持ちかけられる中、次に選んだのがこの『ナインハーフ』だった。 原作はNY在住の若い女性エグゼクティヴ、エリザベス・マクニールの『ある愛の記憶~飼われた猫のように』。本当は中年の男が書いたとされるエロティックな小説だ。監督は舞台を当時のNYに置き換え、ヤッピーとキャリアウーマンを登場させた。 原作では男が女を征服、支配するという歴史的なパターンのメタファーとして描かれているけど、映画では女は被害者ではなく、新しい目覚めの儀式に参加する、男と同格の参謀者として映るように手を加えた。物語の終わりにはエリザベス(女性の主人公)は自分で心を決めるんだ。 ストーリーはセックスに虜になった男と女の9週間半を追う。謎多き証券会社のヤンエグ(ミッキー・ローク)は「君は僕の分身だ」と言って、アートギャラリーで働くエリザベス(キム・ベイシンガー)にあらゆるエロティックを仕掛ける。時には男装や万引きを強要するが、女は戸惑いや怒りを感じながらも自己を解放するかのように受け入れていく。しかし、世話好きでサディスティックな男の要求は次第にエスカレートしていって……。 肉体関係による孤独や空虚の穴埋めは『ラスト・タンゴ・イン・パリ』のようだ。ミッキー・ローク演じるウォール街の成功者の奇行は、一歩間..
未分類

What’s Going On〜この世界はどうなっているの?何が起こっているの?

ねぇ母さん たくさんの人たちが涙を流しているよ 兄弟たちが次々と死んでいくよ 僕たちの手でなんとかしないと ここに今、愛をもたらすために ねぇ父さん これ以上戦争の被害を広げないで 戦争は何も解決してくれない 愛だけが憎しみに勝つ 何とかして見つけだそう この世界に愛をもたらす方法を これはマーヴィン・ゲイの名曲「What’s Going On」が誕生するまでの話である。 ──1970年3月16日、マーヴィン・ゲイ(当時30歳)にとって最高のデュエットパートナーだったタミー・テレル(当時24歳)が、脳梗塞によってこの世を去る。 タミーの死後、彼はショックから立ち直ることができず…しばらく隠遁生活を送っていた。 対人恐怖症に陥り、自宅に引きこもり、所属していたモータウンレコードへの不信感も募り、薬物依存への道を辿ってゆく。 モータウンの創業者ベリー・ゴーディの姉にあたる17歳年上のアンナと21歳の時に結婚して、幸せと成功を掴んだ彼だったが…すでにこの頃は夫婦関係も冷めていたという。 当時、タミーの死が彼にとってどれほどの出来事だったのか? あるインタビューで語られた言葉がそれを物語っている。 彼女の死は本当に辛かった。 彼女と僕が恋人だったからじゃない。 そうだったらよかったと思うが、僕達の関係はプラトニックなものだった。 辛かったのは、あんなに才能のある美しい人が、あんなに若くして死んだということだ。 この世で自分が愛していた人、好きだった人、仲が良かった人を失うのはなかなか大変なことだよ。 それに僕らは二人共まだ若かったし…ものすごい打撃だった。 また別の女性と一緒に仕事をするなんて考えられない…。 僕は本当に彼女を愛していたよ。 彼はタミーの死によって物事を哲学的に捉えるようになり、音楽以外のことにも関心を向けるようになっていった。 愛する者の死が、彼の心に新たなインスピレーションを与えたのだ。 そして翌年の1971年、数ヶ月に渡って音楽活動から遠ざかっていた彼は、アルバム『What’s Going On』で復活を果たす。 そのオープニングを飾ったタイトルナンバーは、次世代のスティーヴィー・ワンダー等が切り拓いていくこととなる“ニューソウル”の起点となってゆく。 アルバムのジャケットに写る彼は“モータウンの貴公子”と呼ばれた60年代の頃の雰囲気とは違っていた。..
未分類

あのベスト盤はどれだけ売れているのか〜世界で5000万枚を売ったロックバンドは?

2016年にデヴィッド・ボウイ(享年69)、プリンス(享年57)、グレン・フライ(享年67)といった大物ミュージシャンが立て続けに亡くなったことを覚えているだろうか。 ……思えば1980年、あのジョン・レノンが“前人未到の40歳のロックンローラー/ロックスター”の道を歩み始めようとした矢先、銃弾に倒れたことをきっかけに、「40代でもロックを演り続けよう」という強い想いが多くのミュージシャンの心に染み渡ったような気がする。「30代以上を信じるな」がモットーだった激動の60年代のスピリットは消え去り、新しい価値観がロックの世界に芽生えたのだ。 以来、90年代には50代、ゼロ年代には60代、10年代に入ると70代の現役ロックミュージシャンは珍しくもなくなり、今では当たり前になった。むしろその存在は、若い世代のミュージシャンよりは遥かにパワフルで、老いてもなお演り続けることの信念を教えてくれ、偽りのない真摯な姿勢に時には涙さえ流れてくる。2003年に71歳で亡くなったジョニー・キャッシュはその先駆けの人だった。 年を重ねれば、人はやがて逝く。今後も記憶に残る多くのミュージシャンはいなくなっていくだろう。しかし、彼らが遺した音楽は永遠に人々の心の中で生き続ける。そう思うと、デビュー60年を間近に控えながらもいまだ人気を維持し続けるローリング・ストーンズなどは、もはや奇跡を超えた一つの感動だ。 また、大物ミュージシャンが毎年のように次々と亡くなる現在では、死後にアルバムチャートを駆け上がるという現象も引き起こす。実際にプリンスのベスト盤は彼が亡くなってからナンバー1になった。今回はこの点に因んで「ベスト盤」(「グレイテスト・ヒッツ盤」とも呼ばれる)のセールスランキングを振り返りたい。 CDやアルバムが売れる時代はもう終わった。それは事実だ。だが、そんなことはどうだっていい。ベスト盤は各々のアーティストの足跡やヒット曲を一気に聴くことができるだけでなく、聴く者それぞれの人生や想い出が凝縮されている。 *セールス枚数はRIAA(全米レコード協会)などのデータ(2020年11月現在)を参考にした全米編。なお、2枚組は1セットではなく2枚分としてカウントされている。 *◯印は死去もしくは解散。 *この記事は2017年1月に公開されたものを一部更新しました。 まずは700〜1100万枚を..
未分類

戦争の親玉

おい 戦争の親玉たち すべての大砲をつくるあんたがた 死の飛行機をつくるあんたがた 大きな爆弾をつくるあんたがた 壁の後ろに隠れるあんたがた デスクの後ろに隠れるあんたがた あんたがたに言っておきたい あんたがたの正体はまる見えだよ (訳詞:片桐ユズル) ボブ・ディランがこの「Masters Of War(戦争の親玉)」を作ったのは21歳の時だったという。 それはキューバ危機によって冷戦の緊張が高まった1962年から1963年頃のこと。 この楽曲は2ndアルバム『The Freewheelin’ Bob Dylan』に収められ、ディランが初めて“はっきりとしたメッセージを込めたプロテストソング(政治的抗議のメッセージを含む歌)”として知られている。 同アルバムのトップを飾る「Blowin’ in the Wind(風に吹かれて)」の方が、プロテストソングとして世界的に有名になったが、そのメッセージは暗喩によるものがほとんどだった。 いくつの海を渡れば 白い鳩は砂浜で安らぐことができるのか? 友よ、その答えは風に舞っている 答えは風の中で音を立てている それに比べてこの「Masters Of War(戦争の親玉)」は、明らかに人の命を代償に金儲けしている“戦争商人”を痛烈に非難した歌であり、ディランの楽曲の中でも最も攻撃的だと言われている。 世界は混沌とした時代に突入しようとしている。 ウイルスのこと、エネルギー問題、経済至上主義、自然環境・生態系の破壊、地球規模の気候変動… そして今も世界のどこかで戦争・紛争・貧困に苦しんでいる人達がいます。 国境を越え、時代を超えて…誠実なアーティストが生み出した歌は教えてくれる。 「知ること」「伝えること」そして「自分の事として考えてみること」の大切さを。 この世界を “陰でコントロールする者たち” の好きにさせてはいけない。 「戦争のつくりかた」アニメーションプロジェクト-What Happens Before War?- 【戦争のつくりかた特設サイト】 http://noddin.jp/war/ 2012年8月20日、シリアを取材中、銃撃によって志を絶たれたジャーナリスト・山本美香さん(享年45)の言葉をご紹介します。(書籍『戦争を取材する〜子供たちはなにを体験したのか』/山本美香・著より) 平和な世界は、たゆま..
未分類

キャロル・キングの名曲「Sweet Seasons」が日本で発売された日

人生では勝つこともあれば負けることもある 時にはうまくいったと思ったとたんに 憂鬱に取りつかれてしまうことだってある 1972年(昭和47年)2月25日、当時30歳だったキャロル・キングの「Sweet Seasons」(キングレコード)が日本で発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「女のみち」/宮史郎とぴんからトリオ 2位「瀬戸の花嫁」/小柳ルミ子 3位「さよならをするために」/ビリーバンバン 札幌冬季オリンピック、ミュンヘンオリンピックが開催され、自動車に初心者マーク登場、東北自動車道が開通、そして連合赤軍によるあさま山荘事件がおこった年でもある。 本国アメリカでは、前作『つづれおり』のヒットに続いて1971年12月にリリースされた3rdアルバム『ミュージック』に収録され、翌1972年1月11日にシングルカットされたこの「Sweet Seasons」。 作曲はキャロル・キング、そして作詞クレジットには名盤『つづれおり』に収録の全米1位・グラミーで最優秀レコード賞を受賞した楽曲「It’s Too Late」を書いたトニ・スターンの名が記されている。 同曲は、1972年3月4日付のビルボードHot 100で9位を記録。 また、ビルボードのイージーリスニングチャートでは2位を記録した。 彼女は当時の心境を自伝にこう綴っている。 「私は“つづれおり”があれほどヒットするとは思っていなかったし、今後もあれほどのヒットを期待する理由がない。当時の私はごく普通の生活を楽しみながら、曲作りとレコード作りをして生計を立てていることが、ただただありがたかった。“普通”という言葉の見解はそれぞれに任せるが、私は30歳になった1972年、けっこう普通の人生を送っていたと思っている。」 私は子供達を産んで自分の生計を立てているわ 季節が駆け足で過ぎ去るのを眺めるの 自然の中で人生を築くわ 田舎での人生を選ぶの 前作アルバム『つづれおり』同様、ロサンゼルスのA&Mスタジオでレコーディングが行われ、サム・クックやママス&パパスを手掛けたルー・アドラーがプロデューサーを、ハンク・チカロがエンジニアを務めている。 ジャケット写真も『つづれおり』と同じく、カーペンターズ、B・B・キング、ジョー・コッカーら人気アーティストのアルバム約300枚のジャケットを手がけたジム・マクラリ..
未分類

城達也と堀内茂男という二人の男の“美学”が育んだ伝説のFM番組『ジェットストリーム』

午前零時、ラジオのスイッチを合わせる。ジェット機の離陸音と航空無線の交信が聞こえてくる。すると“ジェットストリーム……”というアナウンス。フランク・プゥルセル楽団の「ミスター・ロンリー」が始まると、“遠い地平線が消えて……”と印象的なナレーションが綴られていく。夜間飛行へと誘うパイロットの声は城達也。 番組で流れるのはイージーリスニングと呼ばれるインストゥルメンタルのムード音楽。数曲耳を傾けていると、今度は世界中の街や情景を描写した詩が綴られる。そして再び音楽に戻っていく。エンディングのナレーションが流れる頃、時刻は深夜1時前を指している。「夢幻飛行」とともに、聴き手は暗闇とゆっくり溶け込むように眠りに落ちる。今夜も夢の中で旅人となりながら……。 城達也さんが“機長”を務め、堀内茂男さんが台本を書いていた頃の『JET STREAM』が好きだった。そこにはロマン、ダンディズム、イマジネーションの世界がどこまでも広がっていた。あの声や言葉があったからこそ、唯一無二の存在になった。ベッドの中でも車の中でも一日の終わりをそっと実感した。たまたま耳にした時ほど、そう思った。耳障りで無駄なフリートークが一切なく、話し手や書き手の顔もよぎらない『JET STREAM』は、どこまでも心地良かった。 ──始まり。それは日本が高度成長期の真っ只中。海外旅行の自由化が起こり、AMラジオの深夜放送が大ブームとなる1960年代後半。当時の日本航空の宣伝課長・伊藤恒氏は、シカゴ駐在員だった頃に愛聴していたアメリカン航空提供のFM番組『Music ‘til Dawn』(1953〜70)のように、日本航空でも海外旅行を促進するような同様の番組を作れないかと考えていた。 奇しくも同じ頃。日本初の民放FM放送局であるFM東海(東海大学のFM実用化試験放送局)の当時の営業部長・後藤亘氏(現エフエム東京・名誉相談役)は、「日本人が世界に旅立ちたいという想いを幾多の人に伝える、イメージの世界で旅のできる番組を作りたい」と企画に取り組んでいた。日本航空に持ち掛けると、両者の想いは合致。 番組タイトルが『ムーン・ライト・ハーモニー』から『JET STREAM』に正式に決まると、パーソナリティ選びに半年間を掛けた。この男の声しかない。抜擢されたのは洋画の吹き替えなどで活躍していた声優、35歳の城達也。そして196..
未分類

【激ムズ】超アメリカンなクイズ。あなたは半分以上正解できる?

カルフォルニア州での飲酒可能年齢は何歳?あなたは何問正解できるかな〜 View Entire Post ›
タイトルとURLをコピーしました