
友川カズキ物語〜デビューまでの道のり、映画“戦メリ”の主役を蹴った過去、怒れる詩人としての信念
1980年代の初頭、映画監督・大島渚はある無名のシンガーソングライターを呼び出した。
それは新作映画への出演依頼だった。
しかも主役という大抜擢。
共演者はデヴィッド・ボウイだという。
ただし、出演にあたって一つだけ条件があったという。
それは“秋田なまり”を直すことだった。
「なまりを直す気はありますか?」
監督にこう問われた男は、なんの躊躇もなく答えた。
「ありません。」
数ヶ月後…彼の代わりに坂本龍一が抜擢され映画『戦場のメリークリスマス』はクランクインした。
ビッショリ汚れた手拭いを
腰にゆわえてトボトボと
死人でもあるまいに
自分の家の前で立ち止まり
覚悟を決めてドアを押す
地獄でもあるまいに
生きてるって言ってみろ
生きてるって言ってみろ
生きてるって言ってみろ
その男の名は友川カズキ。
1974年のデビュー以来「友川かずき」として活動をしてきたが、2004年から名前をカタカナ表記にして活動をしている。
本名は及位典司(のぞきてんじ)。
1950年生まれ(現在66歳)の秋田県生まれで、中学時代に詩人・中原中也の作品に衝撃を受けて詩の創作を始めたという。
1969年、19歳のときに集団就職で上京する。
彼の物語はここから始まった。
「高校を卒業して浅草の婦人服店に就職したんですが、半年しか続かなかったね。秋田なまりが強いのに接客をやらされたもんだから。最初のうちはなまりを直そうと努力したんですけどね…。トイレに隠れて“いらっしゃいませ”って何度も練習しました。でも、やっぱりダメだった。サラリーマンには向いてなかったみたいだね。そもそも、婦人服店に就職した理由ってもの、東京へ出るのが目的だったし。」
その後、新聞配達や喫茶店のボーイなどアルバイト先を転々とするが、最終的には日給のよい土木作業員をすることが多かったという。
自分の名を「友川かずき」と名乗ったのもこの頃からだった。
なぜ偽名を名乗ったのか?
「本名の及位(のぞき)ってのをいちいち笑われて面倒だったから…。」
そんな中、彼は行きつけの赤提灯で岡林信康の歌を初めて耳にする。
それは「三谷ブルース」と「チューリップのアップリケ」だった。
今日の仕事はつらかった
あとは焼酎をあおるだけ
どうせどうせ山谷のドヤ住まい
他にやることありゃしねえ
うちのお父ちゃん 暗いうちからおそうまで
毎日くつを ..