その頃長浜小学校五年生の野崎隆が夢中だったのは野球だった。時代は「巨人、大鵬、たまごやき」の白黒テレビのコマーシャルコピー全盛で、野球小僧はお気に入りのプロ野球選手の、駄菓子のおまけシールを下敷きに貼って、背番号三番サード長島を、野球の神様のように思っていた。隆が普段から親しんだ野球は少人数が集まって、どこの空き地の一角でも出来る「三角ベース」だった。あいにく運動場が改修工事で平日は使えず、思う存分野球がやれたのは、日曜日だけだった。その日も朝早くからグランドで近所の遊び友達の西本俊雄とD組の野球小僧がいつものように朝礼台前に集合していた。集まるなり、この夏第四十五回全国高等学校野球選手権大会の県代表に決まった長浜北高の話で盛り上がった。「北高の決勝戦すごかったな」と山下次郎がバットの素振りをしながらしゃべりだすと、西本俊雄もグローブをはめて投げる動作を止めて「僕もラジオでアナウンサーの実況聞いてたけど興奮したな」と応じた。少し遅れてきたD組の今村健太が「ラジオ中継で時々砂嵐みたいにザーザーと大きい波やら小さい波なんかがラジオのスピーカーから聞こえて肝心のチャンスやピンチの場面で砂嵐がおさまったと思ったらチャンスはつぶれ、ピンチから点が入ってたな」と見えない試合を愚痴った。「なんせスコアーが七対六の一点差の試合やもんな」と隆も握ったボールを見ながらつぶやいた。三人の話以上に隆自身も大津商との決勝戦は、ラジオの実況に釘付けになり一球一球手に汗握る大接戦に、はらはらドキドキした。「優勝パレード行ったか」と次郎がみんなに聞いた。「夜が遅かったんやろ」と俊雄がいけなかった事を悔やんだ。
「僕、父さんと駅前通りまで見に行ったで、ほんまに北高勝ったんやろかと父さんに聞くと、百聞は一見にしかずと言って、二人でいっしょに確かめに行ったんや」と隆は興奮して言った。決勝戦が終わり、選手が長浜に凱旋し駅前通りの優勝パレードで見たのはまぎれもなく、背番号も高校名も消えかけた泥まみれのユニフォームで激闘の全てを物語っていた。優勝パレードのあと、父大介が家に帰るなり一升瓶からコップ酒を飲んでは「やってやれない事はない、やらずに勝てぬ勝負なし」と一人悦に入り酩酊した。それが隆の父大介の酔った姿を見た最初の出来事だった。
朝から始めた「三角ベース」も準繰りで役割が一巡していた。お昼近くになり仕舞い支度の矢先、甲高いエンジン音が「下坂の大仏さん」の南方の空から聞こえてきた。暫くしてエンジン音とは別の、大きな音が聞こえた。
音の正体は頭上近くでプロペラ機のスピーカーから聞こえた「ローンレンジャー」のテレビのテーマソングだった。ピッチャーをやっていた俊雄が頭上を指さして「ハイヨウ!シルバー」と大声をあげた。キャッチャーをやっていた隆も、バッターボックスに立っていた、次郎も俊雄の指さした方角を見上げた。真っ青な青空に南中のまばゆい太陽の光を銀色の翼に反射させ、銀色の輝きを放ったプロペラ機が運動場上空を旋回し始めた。
次の瞬間、輝き中から、きらきらとした反射物が放出された。次々に拡散され巻かれた物は何百枚にわたる紙吹雪となっていた。次第に飛行機から巻かれたものが、風に乗ってゆっくりと飛来し、運動場に所狭しと舞い上がっては舞い落ちる万国旗の様な旗めく色どりの落下物となっていた。一枚が次郎と隆のホームプレート付近に舞い落ちた。すぐに手に取ると色紙に「斎藤サーカス来浜!来る七月お旅所にて開催乞うご期待!」と書かれていた。
「やったサーカス来るぞ」と次郎が叫んだ。「今年の夏中さん、サーカスなんや」と隆は思わず万歳をした。俊雄も健太もプロペラ機に向かって大きく手を振った。プロペラ機は運動場上空を二度旋回して北西の消防署の方へ機首を向け、尾翼を左右に揺らしながらエンジン音を高くして高度を上げ飛び去った。
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